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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

沖縄の思い出 2

 おはようございます。

 最近は、ラジオ体操に出かける頃はまだ暗くって、体操をしている時に東の空が明るくなってきます、その感じが好きです。夜明けの雰囲気。まだ寒い。カラスがお寺の瓦屋根で仲間を呼んでいる。木の梢で野鳥が鳴いています。そんな朝です。

 

 

 もう43年も前の沖縄のことを思い出すのは楽しい……

 自由だったからか……あのときはフーテンだったし、気ままに旅人をしていました。若者たちがいっぱい沖縄にやって来ていた。「沖縄が返還された」ということがきっかけになったからでしょう。沖縄がブームだった。

「貧乏旅」が流行していました。

何でも見てやろう (1969年)

何でも見てやろう (1969年)

 

   この本がベストセラーだったのです。

 

 

 いまになって思うのですが、若いときは何をやっても楽しい。エネルギーに満ちあふれています。世間の目を跳ね返す力がある。無軌道なことをやっても、冗談にしてしまう。

「自分が何者か」がまだわからない。社会で何ができるか、わからない。何を求められているのかわかっても、まだ納得していない。いろんなことができるだろうと、自分の才能や可能性を信じている。

 そういうのが「若い」ということなんだと思います。迷いながら行く道を探していること。

 

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 沖縄は、日本とは違う文化を持った島でした。習慣も、風俗も違う。祭も、生活も違う。日本にないゆったりとした時間が流れる、のんびりした島でした。那覇普天間といっても、その頃は、日本の地方の街ぐらいの規模だったのです。

 


1973年 若夏国体(沖縄) - YouTube

 


「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 - YouTube

 街の様子がよくわかります。

 

 返還で、本土の資本が雪崩れ込んで来ていました。アメリカ軍施政下にあった沖縄は、大きく変わりつつありました。

 そこで本土の建設会社の作業員として働いていたのですから、やはり「ヤマトンチュ」として外から来た人だったのです。

 

「沖縄の復帰時と現在の状況」の統計があります。

 いまは観光客が増え、第三次産業に依存しているのがわかります。そして、生活も、環境も大きく変ったでしょう。

 

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 どのように、時代が、街が変わっていくかは、国とかの大きな計画の元での話ですが……

 個人的には、どのように関わったのかとか、どんな体験をしたかが、大きな意味を持つと思います。

 ぼくにとって沖縄は、夢のような、異文化の世界でした。違う世界に来たと感じました。

 自分というものを考えるきっかけになったし、大原さんといっしょに生活することで、マルクス主義に目を開かされたのです。沖縄では、浦添市の大謝名に家を借りて、仲間と生活していました。若かったんだな、と思います。自分にとって、青春といえば、沖縄のことを思い出します。

 

 

 思い出や、その時、何を考えていたかを書くことは楽しいことなので、折にふれて続けたいと思っています。

 

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 詩のカードから。

 

【詩は語る絵画であり、絵画は沈黙せる詩である】

 

  ギリシャの詩人シーモーニデスの言葉だそうです。本に出てきたので、いい言葉だなと思って。

  ウィキペディアを読むと、現代の感覚ではよくわからない……でも、専門家として認められていたんだと思います。

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。