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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

1971年の思い出

 おはようございます。

 寒くなりました。昨日は札幌で積雪が40センチだったそうですし、東北では初雪が降りました。軽井沢でも3センチの雪だとラジオでいっていました。

 今朝、あべのハルカスは霧に包まれていました。

 こうして冬になっていくんだなあ、と思いながら、冬の服装に着替えました。ラジオ体操に出ているときは、まだ半袖なんですが……部屋でじっとしていると寒い。

 

 

 ここ二、三日、三島由紀夫のことを考えたりしていたから、昔のことを思い出しました。それで思い出を書きます。

 

1970年代 - Wikipedia

 年表を見れば……「ああ、こういうことがあったな」と、懐かしい……時代は遥か過ぎ去るものなのですね。

 

 この頃、建設作業員として万博の日本庭園の前の道路を作りに行った……ぼくは十代の終り頃から工場で働くのが嫌になり、放浪に憧れて、転々とするようになっていました。この前の年には駅で声をかけられて飯場に入り、いろんなところで土工をしていました。

 若かったからか、あまり、まともに生きるということを考えなかった。人生が射程に入っていなかったのかもしれません。計画を立てられるような環境でもなかったし。

 景気が良かったので建築の仕事はありました。スポーツ紙を見ると、求人広告がいっぱい載っていました。

 飯場を渡り歩いたり、アルバイトで寮住まいをしたりして、暮らしていました。

 どこかに行きたかった。

 

 71年には日本水産のトロール船に雇われ、カムチャッカ半島のほうで、すけそうだらをとる船の甲板員になりました。

 九州を歩いている時に飛び込んだ職安で紹介されて、やる気になったのです。

 半年間の遠洋漁業で――体力的にきつく、一回で挫折しました。労働するということは簡単ではありませんでした。秋田県や東北の他の船員と反りが合わなかったせいもあります。京都のおじさんもいましたが(なぜ、船に乗ったのか)……6時間おきに網を引き上げるので、今が昼か夜かわからなくなりました。睡眠不足と体力を使い果たす毎日でした。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

「底引き網漁」

 

 甲板から船倉に落ちてきた魚をスコップですくってベルトコンベアに乗せる、そんな作業をしていました。ベルトコンベアに流れてきた魚をさばき、トレイに詰めて急速冷凍する。それから箱詰めにして冷蔵庫に積み上げる、そういう作業でした。

 もう、断片的にしか思い出せないのですが、突出した体験です。

 網が上がっていない時に甲板に出たことがあります。流氷が流れていて、いるかが船について泳いでいました。帰ったら日本は夏だったのですが、オホーツクは寒く、甲板につららが下がっていました。

 

          …………     …………

 

 旅に憧れていて、どんなとこにも行ってやるぞ、っていう負けん気だけはあった。なにも考えずに行動していたのです。ある意味、ロマンチストだったと思います。人間としては、甘かったけれど……いまでも旅には憧れます。

 

 いまは……どこかに行けば、帰ってこなくちゃならないんだな、ということがわかっているので……もうロマンチストではないのですが。

 

 65年も生きて来たので、いろんな思い出があります。

 年をとると思い出が前向きになることを邪魔する。それはそれで、いいのです。

 若い人でも……人生の濃度というか、いま、ここで、生きているという状況は同じだと思っています。

 

 また、思い出したことを書きたいと思います。

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 詩のカードからです。

 

【様々な視点から描く】

  • 自分の視点から
  • 自分を客観的に見る視点から
  • 幻想的に
  • 神の視点で
  • 動物の視点で
  • 物の視点で

 

  • 現在の視点で
  • 過去の視点で
  • 人間以外の視点で

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。