読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「展望 現代の詩歌」(2007年)の吉増剛造・解説から 2

 おはようございます。

 

「展望 現代の詩歌」の吉増剛造さんの章を読んでいます。

 

 詩集『わが悪魔祓い』(1974年)の解説・分析です。

  • 〈流域〉というテーマがある、と言われています。詩人が見つめる〈川〉があると。

 この時期『草書で書かれた、川』『太陽の川』など、詩集のタイトルにも「川」がついています。

 

『わが悪魔祓い』の「血の川下り」という散文詩です。

 朝、午前五時、めざめると、すでに言語の王国であ

る。深夜、白き大腿の一本も上流より流れてくる、家の

下には昔から血の川が流れているので、日本建築は板張

りに畳を敷くのである。お箸で穀物をそっとつまみ、死

者の骨もお箸でとる。そして仏壇に祭るのである。板張

りのしたを流れている、川をわたしははじめ下水だとお

もったが、水音を聞いていると、わずかながら囁く声が

ある。工事人足たちのおしゃべりとおもったが、違う。

枕のしたを流れる京都舞妓の夢ともちがう。むしろ濁っ

た酒、血の川、酒の川に似ているだろうか。灘という不

思議な溝。大蛇、下水、池、堤防、蛇籠、鯰、環太平洋、

和歌山、銀河、どこか水音が違う。血が流れている。水

上の魔の家であろうか、しかとは判らぬ。覗きこむと水

のなかに沈んでいる深い井戸がみえる。それは沖積期時

代の古い井戸であるらしい。そこにも血が流れている。

たしかに下水(どぶ)ではない…… (略)

 

 この散文詩は長い詩なのですが……解説では、流れるもの――「血」を、世界を構成する原理のようなものだと捉えています。血の川=原理、なのです。。

 

 ぼくの感想ですが……これは朗読するための詩なんだろうな、と思います。鮮烈なイメージなので、パフォーマンスのための詩なのだろうと思うのです。詩の目指すもの――テーマが変化してきているのではないでしょうか。

 

 

 初期の詩の現場は都会や、辺境でした。その場所が変ってきました。

 詩人が詩を書いていくなかで、それぞれの時期に持つテーマや課題があるんだろうと思うのです。

 70年代の、この時期の詩は(想像力によって)……宇宙にまで拡大する視点を持っているようです。

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 この詩集のなかの他の詩も引用していいでしょうか。

 

 「宇宙駅から北方にむかって」 

 肉体の一点から詩が入ってきて、私は誕生した。色は

真紅とでもいっておこう。獣眼が覗きこむ修羅。私は通

行されるものである。産道から歩きだして、全く途方も

ない宇宙の駅に立ったものだ。

 太陽は赤道植物園に墜落した。「白人の裸体」という

種族が住んでいる、獣眼のもっとも淀んだ個所で、産婆

が洗面器を洗っていた。犬一匹、五体満足に疾走させぬ

街角に立って、眼はやがて売春婦の眼に似てきていかた。

夕暮の赤線地帯で、異人はながい放尿をする、それは黄

金の風景であった。

 宇宙の駅から北方にむかって、一直線にカーブしてゆ

く、列車にそって走ってゆく、投げられた化石の、運転

題で神経のバランスをとる、私の燃える屑籠のような住

家がみえる、畳は燃えていた。

 マニラ湾の夕陽のように、太陽は赤道植物園に墜落し

た、若きフィリピンの詩人の眼に燃えていた太陽の、獣

眼、残忍そうな肉体の一点から、東南アジアの田植歌が

聞こえてくる。ヘシオドス、労働と暦日、蛇の眼、黒い肌、

ぶったおれるまで踊る、血の街道を一直線にカーブして

ゆく、世界がとけてゆく、ガラスの、砂。

……

           (略) 

 

  ここでも〈場所〉は縦横無尽に移動します。

 記憶も自由に羽ばたいています。詩人が作る風景でもあるし、感覚でもあります。これだけ自由だと、すごいな、という気がします。

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。