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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「展望 現代の詩歌」(2007年)の吉増剛造・解説から 1

 おはようございます。

 

 ぼくが吉増剛造さんを読みたいと思うのは、〈自由〉だからです。

 吉増剛造さんはインテリで、その自由さは想像力によって作られたものですが……

 

 ぼくのような「社会での底辺層」は、普通の環境でものをいうことができないので……主張もできないし……その裏付けの教養もないしで……現実では、ほんとうのことだと思っていることを発言できません。

 それでいちばんお金もかからないし、誰に邪魔されることもないのは……詩を書いたりすることだけです。(そんなことをいって、詩を書いてもいないのですが……(^_^;)汗)

 でも、自由に描いていいんだ、と知ることが重要なんだと思います。

 いまではインターネットがあって、自由な空間が増えました。いいことだと思っています。

 それでもずっと、縛られている感覚があって、自由に憧れます。それで。

 

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 和合亮一さんが書かれた「展望 現代の詩歌」(2007年)の吉増剛造さんの解説を読みました。

 すごくまとまっていると思うので、詩集の引用もして、それを紹介したいと思います。

 

 

吉増剛造 - Wikipedia

 で、その生い立ちはわかりますが、特筆すべきことは、昭和46年、詩集『頭脳の塔』や現代詩文庫『吉増剛造詩集』が出た年(32歳)に、田村隆一夫妻の媒酌で、世界的パフォーマーのマリリア・ルーアス・サントスと結婚したことです。それは吉増の表現活動に影響を与えることになる。

 

●朗読のパフォーマンス(世界各国で)

●対話や座談、対談やシンポジウム

●写真撮影、映画

         すごく多方面です。

 

 

  詩集『出発』については、「吉増剛造論」でさんざん解説されていたので、もう、いいでしょう……

 この本では〈コスミック(宇宙的な)感覚〉に進むための前段階の詩のと捉えています。「歩みながら思惟する」(P35)、「自己を投与する試み」ということらしいのです。

 ●エクスクラメーションマークの多用

 ●ギンズバーグなど60年代のビート詩の影響

 

 

『黄金詩篇』について

  • 「世界」あるいは「宇宙」を駆け抜け、全体に迫ろうとする。
  • リズムへの希望……韻律……疾走感……言語の限界へ
  • 荒地派の戦後詩を脱した、新しいグループによる詩句の実験のなかで

「中心を考える。考えることの不能な中心をめぐって、なおも中心をかんがえようとする志向が存在する。ぼくはここしばらく、この中心志向とも中心感覚ともいうべきものをめぐってすごしてきたように思われる。」

 これは『中心志向 透谷その他』という、初期エッセイの出だしである。ここにある「不能な中心」というものが、言わば初期の吉増の詩の、疾走感と浮揚感の向かう極点であったのだろうか。詩人の迷宮感覚を思い知らされてしまう一文である。

……

……

吉増のエッセイは、ブランショの語句「欲求と無知」に重なるところがある。(P42)

ということで、エッセイのテーマを、同じような問題意識を持つブランショの詩論と重ねて考察しているのです。

 

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 そしてそういう初期の態度が変化を見せた証として 詩集『熱風 a thousand steps』(中央公論社、S.54/1979)の「絵馬」を引用しています。

●「!」が見られなくなったこと。

 吉増剛造はエッセイ「リズムの魔に吹かれて恋の山いたる」で、こういっているそうです。

「朗読は作品の固着化をうながす。それと同時に朗読は往々にしてその作品の致命的な弱点をかいまみせる。」「弱点」とは何だったのか。こんな一文が、この稿で目につく。「霊感ほどなてにならぬものはない。」

「!」の多用。その都度言い捨てるかのような、あたかも刹那的な、それでいて至極印象的なイメージを機関銃のごとく連射して一躍時代のスターとなった。しかし自己の「霊感」に不信を抱き、詩を一瞬にだけ成り立たせるのではなく、もっと「固着」の方角へと進み始めようとしたと判断することができる。豹変したその姿を「歩行」と松浦寿輝は定義している。そして、それを読む私たちの行為を「伴行」としている。(P43)

 

 ここでは、前に読んだ松浦寿輝のエッセイを思い出しました。

 

 解説によると、「絵馬」は、日常に隣在する〈夢魔〉の潜む世界らしいです……歩行しながらの様子が朗読されて……

 心象の深い底に降りているようです。

 

潮岬デハ、東北東、風力四、雨、〇七ミリバール、二十三度

漁師さん、金毘羅さん、この空に吊る絵馬は、どっかにないかしら、

美しい着物を買って、せんになって走ってゆきます。

 

長春デハ、風弱ク、ハレ

                   (最終部)

 

 

 不特定多数の時空間が並列化されている。あらゆる時と場が〈情報〉となって氾濫する……そんな長詩のようです。「続続・吉増剛造詩集」のP8から掲載されているので読むことができるのですが……視覚的にも、言葉がデザインされていて、たんに詩の言葉ではないような気がします。

 

 

 明日は『わが悪魔祓い』の解説です。

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。