読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「吉増剛造論(中央出版企画 小野満 1984年)」を読む 1

 おはようございます。

 

 吉増剛造さんについて、多くの人の文章から学ばせて頂いています。

 今週は、この、 

吉増剛造論

吉増剛造論

 

 を読みたいと思っています。

 一度読んだのですが、わかりにくかった………なぜなのか………しっかり頭に入ってこなかったのは、この本で具体的に取り上げている詩集もまだ読んでいない段階で手にとったからでしょう。この本は、吉増剛造が書いたそれぞれの詩集を論じることで、詩人の全体像にせまる構成になっているからです。

 順番に読んでいきたいと思っています。

 

 

  目次を書いておきます。

 

日没黄金………詩による詩人論

吉増剛造論序説………純粋病と詩的『出発』

全体志向としての言語圏………『黄金詩篇』の位置

「暗礁」が意味するもの………『頭脳の塔』「死の山」を中心に

夢みられた『王國』………離別の構造

『わが悪魔祓い』の屈折率………地獄の露出

滅私へむかうもの………『青空』書評架空の中心を廻る記述の活動………『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』書評

岡庭昇(芸)の論理を検証する………天沢退二郎論に名を借りて

詩の露出………発語の力と言葉の至高点

苦悶の発露としての表現………錠武志詩集『唖の歌』書評

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 ぼくは吉増剛造を、詩はどう描いても自由なんだというサンプルとして取り上げて俎上に乗せているわけですが……果たしてどうなのか、という思いはあります。

 それでこの吉増剛造論を詳しく読んでいくことにします。

 

 

吉増剛造論序説………純粋病と詩的『出発』】 まとめ

P15に書かれている詩。(「出発」最終部)。

怖れるな

おまえの場所を

おまえの魂のすみかを

おまえは空間に香気をみる

そして

愛の形をも見るだろう

 

人々はガード下で乞食が笑っているのを見たことがあるだろう

ヘラヘラ笑うのを

 詩集『出発』 が書かれたのは1964年、25歳の時。時代は高度成長に入る前で、政治や風俗は転換期に向う頃で、日常は停滞しながらも破壊的な心情を溜め込んでいた、豊かさへ向かいながらも抑圧感もある時代だったと思うのです。そういう時代のなかで、詩が書かれている……

 1960年代 - Wikipedia

 

P16で、この詩での比喩のことが書かれています。

およそ、空間に香気をみたり、愛の形を見たりすることは不可能であろう。と言ってもそれは比喩でもないのであろうことが推察できる。この詩の中で例えば、結核菌をコップ一杯飲むとか、小便をたらふくのむというのは、「自然」の汚穢さ、その中で汚辱感を養う事なく生きるしかない人間の卑小さの比喩である。また走りながら寝るとか、シリのポケットに頭蓋骨を入れてしまうというのも、前者は超人性の、後者は思考能力を極度に鈍化させ、考える事を止めてしまうという意味の比喩であると推量できる。ぶあつい鉄の壁(思想の限界点)にシリをぶつけ、頭蓋骨をつぶすのだ。つまり考えてしまうその不可避性自体が、詩人吉増にとっては悲劇なのであり、机上の主格はそこから逃避する形で詩を書き進めてゆく方法をわし掴んで離さない。

 

 そういう解釈が成り立つというのは、この時代の詩というのは、日常性を撃つという主体というものを信じて、そこで苦悩していたのだなと思うのです。また、そういうテーマを理解すると、わかりやすい。

 

 そしてこの後に、以前の記事で書いた、飯吉光夫さんの見方への批判が書かれています。

 ジーナ・ロロブリジタと結婚する夢は消えた

 彼女はインポをきらうだろう

 という詩句を、「この二行は決して『滑稽視して笑うことのできる二行」でも『こけおどし』でも何でもない。…… ……

 その理由として吉増剛造が「アメリカは遠い国だ」という評論の中で、子供時代にアメリカ人になりたいと思っていたことを書いているし、強者アメリカへの同一視という原体験をみれば、……「要は日本(敗戦国)の精神の不能性をみつめる地点から吉増剛造の詩的営為が『出発』したことが問題なのであり……」と論を展開しています。そして次の詩を引用しています。

……

おれは歩き出している

マッカーサーが満足そうにベルトに手をやって立ったところで

おれは

穢多から青竹でぶんなぐられ

おれは

日本人から腐ったトマトをたたきつけられ  (「雑草よ」)

 

P21

私は詩集『出発』の大半の要素を形成する大言壮語の影に、このような[不幸]に直進するしかないアンビバレンツを内部に病んでいる詩人の素顔の露呈を決して忘れないでいるつもりだ。

 

 この指摘は的を射ているでしょう。 大言壮語や大げさな身振りに、解決不能な不全感や逃避、ダブルスタンダードの心理が見え隠れします。そして著者は「祭火」という詩を引用します。

こんな死骸を夢みていたのか

こんな死骸を求めていたのか

 という一連から始まる詩で、

発火せよ わが死骸よ

梅雨にさらされ緑の肉あざやかに

白き鋼鉄の矢となれよ

暗黒の天空に浮かぶ一隻の丸木船になれよ

 と、歌います。

 

 これらは、次の詩集『黄金詩篇』『頭脳の塔』へ続いてゆく、憧れでもある強者アメリカへの敵対意識や、日本という自我意識を超える道を探してゆく原点でもあったのでしょう。「祭火」はP24に載っているのですが、著者の『出発』の分析は、P36まで続きます。非常に詳細な分析で、『出発』が吉増剛造という詩人にとって核をなす重要な詩集であることがわかります。

 

 長くなるので、明日に続きます。

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。