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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

続 吉増剛造詩集(1994年)の、「詩人論」(大岡信)を読む 3

 おはようございます。

 

続・吉増剛造詩集 (現代詩文庫)

続・吉増剛造詩集 (現代詩文庫)

 

 の目次の内容を書いておきます。それぞれの詩集から選ばれた詩が掲載されています。

  詩集『黄金詩篇

  詩集『王國』

  詩集『わが悪魔祓い』

  詩集『草書で書かれた、川』

  詩集『太陽の川』

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 この本のもう一つの詩人論、「「ワレヲ信ゼヨ、シカラズンバ………」大岡信」を読みます。

 エッセイでは、吉増剛造との出会いと、64年に『出発』が刊行されて、その短評を書いた事情が書かれています。

 

吉増剛造の詩についてひとこと」(詩誌「エスプリ」64年5月号に掲載された)

P150 

  •  吉増剛造の詩には、どんなに猥雑な歌を志向してもなお争いがたく立ち現れる、おそろしく生真面目な貌がある。
  • 猥雑な現実の視像を彼の想像的空間に充満させ………
  • 彼の詩には、「うた」が発生する基盤であるあの記憶の世界が真に「記憶」としての存在性を獲得するさいに働くあの神秘的な力である秩序が、たしかに貫通していて、この猥雑と秩序の二枚の鏡を内部に向きあわせに抱きしめながら、吉増剛造は詩を書いているのである。

 

 この短評に書かれたこことは、「私が当時感じとり、書いたことは、今でも吉増剛造について思うときの私の見方の基礎を形づくっていると言っていい。」とP149に書かれているので、最初の印象からこの本が出た94年頃まで変わっていないと思われます。

 

 吉増剛造は「歌う」――それを押さえておきたい。

 

 またP154には、

………比喩の展開が自己目的化するとき、そのきちがいじみた回転によって生じる遠心力は、中心部にいる詩人自身の重心を浮かせ、彼の腰をふらふら泳がせ、ついには統制力を失わせししまうに至るだろう。

 と書かれていて、最初の批評から、比喩の過剰や、激しい身振りにたいしての疑問も出されているのです。

 

 ぼくは吉増剛造の詩の、言葉に対する自由さや、自意識の在り方に興味があって、それはどこから来るんだろうと思っていて、それを明らかにしたいので、詩人を取り上げ、読もうと思ったのです。

 詩人は、当時もその独特のスタイルで、周囲に衝撃的を与えたのでしょう。

 

 

………単に言葉によって描写的に造形し、触知しうるものにするのではなく、それをぼくら自身の、世界に対するウイかノンかの行動的自己表示として、いわば価値を担った表象として、提示すること。(P152)

 

 言い方は難しいですが………「現実が、わたしにはこう見えるのだが、これでいいのか?」と、読者に問うている、ということなんでしょう。

 

 ぼくは、詩は、《現実と←→作者の(描こうとする)主体》との関係だと思っています。

 

 吉増剛造が、過剰な自意識の表象として詩に表現し、過剰な繰り返しと、大げさな身振りとで、問いたいものはなにか? と思って、読んでいます。

 

 

 P153~157まで、詩集『黄金詩篇』や『頭脳の塔』や、以後の詩集から多くの詩の、部分が引用され、並べられています。

 それらは詩の「部分」なんですが、まさしく、吉増剛造という詩人の声の連なりなんです。

 

 P158に、

 ワレヲ信ゼヨ、シカラズンバ去レ。そう吉増剛造の詩句の一行一行は叫んでいる。「詩」が、吉増剛造の詩句を通してそう叫んでいると考えることができるかどうか、それが問題だが、しかし吉増の詩法を一言で要約するなら、かの絶対的なる「詩」をして、わが詩句を通じて叫ばしめること、この一点に全て手がかかっているのは明らかである。

 吉増剛造が常に憑依状態に入ることをもって詩作の出発点とし、また詩作過程そのもの、さらには詩作品の内容そのものとするに至ったのは、まさにこのような詩法の必然的な発展だった。 

と書いてあります。

 吉増剛造の詩の本質をついていると思います。 

 

 読者にとっては、この憑依状態におちいった詩人の言葉を楽しめるか、だと思うのです。一冊の詩集、ひとつの詩を読んでも、吉増剛造的世界は立ち現れてきますから。

 

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 来週、7日は、続けて「続続・吉増剛造詩集」の作品論を読みたいと思っています。

 

 

 ところで……このブログですが……

 読んだ本や、他人からの引用で成り立っている、自己満足でしかない「まとめ」にしか過ぎないものを読んでいただいていることに感謝しています。

 

 吉増剛造を読み終えると、次に読みたい詩人はいないので……いま、このブログの在り方を考えています。時々更新して、自作の詩を置きたい、と考えていますが……いずれにしても、それがたいして価値があるとは考えていません。

 自分にとっては意味があるのですが……他人と思いが共有できるかどうか……不安です。人間はそれぞれ違うものを求めているので、無理でしょう。それでも、なにかに突き動かされてやるしかない……のが人の生というものでしょう。つながりたい……そういう弱い存在です。

 よろしくお願いします。  m(__)m

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。