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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

続 吉増剛造詩集(1994年)の、「詩人論」(飯吉光夫)を読む 2

 おはようございます。

 

 昨日の続きを書きます。

 吉増剛造をめぐるセンチメンタル・ジャニー』飯吉光夫」を読んでいます。

 

 P142にはこう書いています。

 殺すのはあくまで紙の上においてである。『出発』には作者の五臓六腑、骨皮毛髪目耳手などのありとあらゆるものが四散しているが、惨劇は演じられたあとのもののように、作者はむしろそれを拾いあつめ、

  シリのポケットに頭蓋骨を入れてしまう

  そして

  背中を向けて

  ころがる

  走る

  地球のはて

  時間という美女

  が立ち止まっているところ

  そこのぶあつい鉄の壁に

  おまえはシリをぶつける   (『出発』より)

といったヤリナオシをやる程度ですんでいる。

 

 どうやら著者は、このP143に書かれている、こういうことをいいたいようです。

読者は伴死伴狂のすさまじい劇を見せつけられる興奮につつまれるだけだ。吉増の禁止、断定、命令、否定、放擲のあらゆる口調は結局は自分の生に向けられたものであり、『出発』の終りちかくから盛んに使われだす〈!〉にしても、外への威勢よがりという以前に、自分自身への景気づけ、したがって裏に懐疑や自嘲や自棄やらのネガティブなるものを含むあくまでボーズである。

     

 

 そう、ポーズなのです。目の前にある対象への自我の姿勢。

 大げさな身振り………ぼくもそう思います。自意識の大げさな身振り。観客は読者………読者が居なければ成立しない………いみじくも〈劇〉といわれた、自意識の劇なのだ、と思います。そこに吉増剛造の詩の原点がある。

 

 このエッセイは「ユリイカ」に1971年5月号に掲載されたものと、最後に書いてありました。

 それで、多くの引用された詩は、『出発』のものが多いのですが………当時の他の詩集でもその傾向が顕著でしょう。それで、ぼくが適当に選んで引用することにします。

 

『黄金詩篇』(1970年)から

「海の恒星」の6連を――

雨がふる

太陽はむこうで半円をえがく、東から西へ

大地が割れる

骨が流れる

うさぎが見ている

ぼくは登る

地震、洪水、雷鳴、嵐をついて

褶曲、逆断層、落石のなかを

創造の神域へ登る

おお 肉よ 羽撃け! 骨よ 流れよ! 心よ 腐れ!

ぼくは登る

ぼくもひとつの造陸運動だ!

死者たちが働いている

カニが働いている

光がゆっくりと荷物をはこんでいる

断崖の途中で火が植物を紡いでいる

渚をけちらし

華々をかきわけて

ぼくは登る

大洪水だ!

頭上にはためく朧月を切り離せ

艫綱をとけ! 錨をあげろ! 魂を放棄せよ

海だ!

世界は四方八方で働きつづける溶液なのだ

海だ!

ぼくは完璧な骨の船

意志もパイロットもいらない

海の恒星だ!

宇宙に飛翔する原初の雄蛇だ!

熱国の海上で

消えうせろ

蒼いこころよ! 朧月よ! 美しい夢よ! 希望よ!

              (6連)

 

 すこし引用するつもりが連全部になってしまいました。

 このように、大げさな身振りの表現は、他の詩集でも多く目にすることができます。それが本質だからでしょう。

 

 たとえば詩集『王国』から

    「少年列葬」

美しいものの狂暴さを一瞬破壊する以外に世界を撮影す

 る方法を失った写真家は、あるいは世界中の住所録も

 郵便番号もなくしてしまった郵便配達夫は、そしてま

 た、ここに美しいものの狂暴さを一瞬破壊する以外に

 世界を語るすべを失ったいかさま賭博師に似た詩人

 は、その絶望的な感情とすでに決定的となった疾病を

 ………

  ………

 で、始まるこの詩の半ばで、

〈死を死ぬ黄金の洗面器〉と名付けた湖水をわたるのであった

地獄の浅瀬だ

地獄の浅瀬だ

薄い湖水、いつまでつづく浅い湖水だ

呪文の水だ、この地獄の浅瀬

地中の幻の湖水だ、この地獄の浅瀬

水が絶叫する、薄い湖水だ、浅い湖水だ

溺れる浅い湖水、溺れる薄い湖水だ

風が濡れる浅い水音だ、呪文の浅い

薄く、浅く、燃える、地獄の浅瀬だ

竹が薄い、竹が浅い、狂いようもない

地獄の浅瀬だ、水しげる湖水の細波だ

………

………

 みたいな詩行が繰り返されるのです。

 

 

 今日は、詩人論のエッセイをもとにして、吉増剛造さんの詩の本質的なものを垣間見たように思うので、これで終りたいと思います。

 明日は、大岡信さんが書かれた詩人論を読みます。

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。