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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

続 吉増剛造詩集(1994年)の、「詩人論」(飯吉光夫)を読む 1

 おはようございます。

 

「新選 吉増剛造詩集(1978年)」は、「続 吉増剛造詩集(現代詩文庫115)」と名を変えて1994年再刊されます。「八月の夕暮、一角獣よ」(1977年)や、詩集『太陽の川』(1978年)などが、加わる形で掲載されています。 

 

続・吉増剛造詩集 (現代詩文庫)

続・吉増剛造詩集 (現代詩文庫)

 

 

 そこでこの本の「詩人論」を読みます。

 

吉増剛造をめぐるセンチメンタル・ジャニー』飯吉光夫」というタイトルです。詩人論というより作品論に近い。

 P132

「疾走」という言葉は今のところ吉増剛造に呈されているようなものである。

 

それはちょうど、いつも筆記帖をもち歩いていた宮沢賢治の詩の場合がそうであるようなものである。賢治の詩はそのほとんどが歩いている詩である。行先にはかならず目的があって、その途中彼は書きとめているのだが、彼が歩行によらず汽車にのっているとか、馬車にのっているとか、船にのっているとか、そしてついには部屋に静坐しているとか仰臥しているとかいったとき、それは決してただごとではない。

と、書かれてあり、吉増剛造の場所はどこかと展開していきます。

 

 P133に、

場所の移動――「行く」という言葉をこう置き換えてもいいが、実際の足によらぬ想念上の足による場合でも、《黄金詩篇》の行動範囲は決して広くない。吉増剛造の想像力の空間が狭いというのではない。彼はことさらに場所をかぎっているようにも見える。その場所とは、一口にいって、盛り場だろう。

 と書かれてあります。

 歌謡曲が、ジャズが、ポピュラーが、フォーク・ソングが鳴り響いている………

 渋谷、下北沢、世田谷・駒場、新橋、神田、新宿・小田急スカイタウン、東銀座裏、吉祥寺駅などが彼にとっての盛り場であり、彼が都市から脱出するときは、スボーツ・カーやコンテッサSを使って………(P134) 

と書かれてあるのですが………

 ぼくは掲載されている『黄金詩篇』を読んでみましたが――

「海の恒星」は………〈丘を登る〉と描かれているように、登って見える心象の風景だし、「落下体」は、場所が描かれていない心のなかのことだし、「反乱」「火がみえる」「中心の歌」も、心象に浮かんだ言葉を繰り出しているように見え、場所という現実に縛られていないと思うので、〈盛り場〉といっていることに、すこし疑問を感じたのです。そして、著者がいいたいことは、猥雑で複雑な都会人の心象に依った言葉が発せられている、ということかと思ったのです。

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 P138から~第一詩集『出発』の詩が考察されていますが………

ジーナ・ロロブリジタと結婚する夢は消えた

彼女はインポをきらうだろう

について「作者としても、こけおどしめいていることは十分予感されている。」といい、

韜晦のおそろしさは、このような 何者もの理解をもとめぬ自嘲にある。否定の真に激しいありかたが自己否定にあるように、絶望の真におそろしい姿はもはや他人へのうったえかけにではなく、語の本来の意味における自暴自棄にある。(P139)

と、書かれてあるのですが………

悲鳴はわれ知らず自分の胸のなかにくぐもるように消えていく悲鳴がいちばん大きいのだが、そのような幻聴的にしか大きいとはいえないトーンが『出発』のなかにもまだ、鳴りひびいている。吉増剛造がもつ大言壮語癖は一目瞭然だが、どのような状況に追いこまれた人間がそのような根源的な言語イメージを抱くかは十分考えてみなければならないことであろう。(P140)

と、分析しています。

 そして『出発』の多くの詩が引用されています。そのなかのひとつ。

太陽系の誕生の日

祝いの宴席で

龍巻のように鋭く巻いたおれの毛髪は

暴君たちとともに

宇宙の岸辺を激しくたたいた 

       「希望」

 について、

 先天的狂人はこのような知的大妄想を、まして文字で定着しようなどとは絶対にしないだろうだけに、これらは貴重な資料だ。(P140)

 と書き………

 なおも、『出発』の多くの詩篇を引用した後で、(本に、詩集『出発』が掲載されていないので、このブログで選んで引用することができませんが………)

 狂気が宇宙とたわむれる動機には、自己の存在への、幼児がぼくはどこからきたのとたずねるのとまったく同質のほとんど本能的ないぶかりがあると考えられるが、狂気が肉体とたわむれるとき、そこには自分が生きていることの不思議さがはげしい尋問の形であらわれていて、この尋問は、追いこまれたある時間、ある時期、容易に拷問にまで進展しうるたちのものである。

 吉増剛造の『出発』はこの拷問を紙の上で、したがってただ想像力の領域で、しかしながら凶暴に、とはいえあくまで詩的に優しく、行っている。(P142) 

と、分析しています。

 

 これは、吉増剛造が持っているポーズや、身振りの底にある虚無感や、苦悩を認めたものだ、とぼくは思ったのです。

 

………………     ………………     ………………     …………………

  

吉増剛造論

吉増剛造論

 

 

 ところで、昨夜、上の「吉増剛造論」(中央出版企画  小野満 1984年)を読んでいたのですが………そこでの『出発』論のところで(P17)――飯吉光夫に反論してこう書かれています。

………「(ジーナ・ロロブリジタと結婚する夢)などどうでもいいのだ。(夢は消えた)がいいたいばかりに、このようなこけおどしをいいだしたのだが………。」一目すれば、これは非常に過激な意見であると言えるだろう。そして、飯吉自身、その独断的なまでの過激さに気づいたのか、このすぐ後に次のような曖昧模糊たる文章をつけ加えざるをえなかった。「誰にも笑ってもらえても聞いてはもらえず、恥ずかしそうに身体を小さくして縮こまっているといった趣きに、ぼくは威丈高の、他者の非を鳴らすばかりの似而非社会詩よりも痛々しいものを感じる」と。大体、「………といった趣き」のみでものを言われる吉増剛造こそいい迷惑であろう。痛々しいものなどという抽象的な示唆をもって「韜晦」や「自嘲」、はては「絶望の真におそろしい姿」まで論を進展させてみても、それは表面的な観念の石蹴りにしか過ぎまい。およそ批評家の仕事とは、「誰にも笑ってはもらえても聞いてはもらえず」と飯吉が書く時の、詩人が真に聞いて欲しかった事を、可能な限り作者の側に立って、あるいは作者以上になって推察を廻らせてみることではないのか。吉増剛造がたぶん酔顔で、だが実に生真面目な口調をもって詩の中で度々語り、膨大なエッセイの営為を軸に実践してきた言葉、「神にならなければ神は語れない」「詩にならなければ詩は語れない」ということ。全世界的な思惟の乱脈性を突破して『頭脳の塔』の恐るべき恐怖言語の中枢へと到る指揮者的航跡『黄金詩篇』を書き始めるにあたり、「燃える」で強調した、相似を超越した変身の必要性はそのようなものだった筈だ。(P18)

(長い引用をすみません)

 それで、こう思いました。 

 

 それぞれの感性もあるし、受け取り方も違うし、表現の仕方も違うので、なにが正しいとかはいえないのでは………それぞれの人の詩に対する思い入れはわかりますが………もしかして、激しく思い入れたほうが正しいと主張できるようなことなのでしょうか………

 そんな疑問を感じたのですが………長くなったので、明日に続きます。

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。