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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『詩の風景・詩人の肖像』を読む 1

 おはようございます。

 

 2007年に出された『詩の風景・詩人の肖像』を読みたいと思います。

 これは白石かずこさんの、親交があった詩人たちのエピソードも含めたエッセイです。まさしく詩人たちの肖像です。

 非常に分厚い読み応えのある本なのですが、短くまとめたいと思います。

  

詩の風景・詩人の肖像

詩の風景・詩人の肖像

 

 

 【この本の感想が書かれたサイトです】

白石かずこ『詩の風景・詩人の肖像』 : 横井一江のブログ 【音楽のながいしっぽ】

 

詩の風景・詩人の肖像(白石かずこ著):《熔融鐵鐵斎》Blog:So-netブログ

 

白石かずこ「詩の風景・詩人の肖像」を読み終えました:焦燥する中年男の日常:So-netブログ

 

RakuRaku-BBS

 

題:白石かずこ著「詩の風景・詩人の肖像」を読んで …

 

読売文学賞の人(3) 随筆・紀行賞「詩の風景・詩人の肖像」白石かずこさん(77)旅が日常「詩をまく人」: 文芸同志会通信

 

           (リンクさせていただきました。ありがとうございます)

 

  ………………      ………………      ………………

 

  アレン・ギンズバーグは70歳で1997年4月5日に亡くなりました。

 1994年『GQ]』10月号に掲載された「死体置場」は、ギンズバーグから依頼されて、白石かずこが翻訳したものだそうです。ここでは全訳が載っています。

 

上の階のジェニー嬢 自分の車ぶつけて 生ける屍になってしまった

ジェイクはマリファナ売った

白いアゴ鬚のつきでた妖精 小人の老レプコンは、静かに

彼らの階段あがっていった

ポーランドからきた元掃除夫ジョンは ウォッカだかワインだかで

ホッペタ真っ赤にし 一階の部屋をでるとき 眼をそらし 24号室の野郎とは口をきかず

というのもそいつは彼のボーイフレンドをベルヴューに送ったのだ 警察を呼んで

その間 六階の芸術的仏教徒の作曲家は水のたまった足 床に横たえ ラリッて

あっちの世界にすっ飛んでいた――一年以上もエイズでゆっくり死にながら――

        ――略――

  これは92行に及ぶ長い詩で、アパートの住人の10丁目のストリートでの様子とかが一緒に描かれているのです。

  この詩を読むと、ギンズバーグの詩のテーマというのは変わっていないようです、一貫して人と環境の状況を書く。英詩には日本語の詩と違って、韻を踏んだり、音楽的なことを考えたり、いろいろとあるんだろうけれど………

 P18に、

彼の詩は、時代を呼吸し、時代の細胞をわが細胞として詩の血、肉、筋肉にし、眼玉から心臓、肛門にいたるまで、詩化していったからである。特に、戦後に詩を発足、誕生させた世代にとっては、ビートとは同時代の過激な詩のランナーの集団であった。

と書かれています。

  • アメリカ東海岸で活動するギンズバーグらをニューヨークからサンフランシスコへと招いたのはケネス・レックスロス………聖書の預言者のようだと言った。
  • サンフランシスコ・ルネッサンス
  • ジャズとの共演
  • 60年当時、日本では、ホイットマンとE・E・カミングズ以外のアメリカの詩人は全く無視されていて、大方は眼をヨーロッパに向けていた。

 ギンズバーグはヴェトナム反戦運動ではリーダーとなり、ヒッピーやフラワー・チルドレンが彼にラブコールを送った。カリスマ性があった。

 白石かずこは、はじめて逢ったのは1979年のロッテルダムの国際詩祭のときだという。以後、世界の詩祭で出会うことになる。

 白石かずこの交友範囲は広い。メキシコの詩祭では、ボルヘスギュンター・グラス南アフリカのマジシ・クネーネ、アンドレイ・ヴォズネセンスキーはロシアになる前のソ連からやって来た。

 

 1982年12月、パリのユネスコで、世界から戦争をなくすための「WAR ON WAR」という詩際が開かれた。それからアムステルダムへ移動した。

 アレンの部屋を訪れた記憶。少女のような、可愛らしいことが好きな、アレンの小さなベッド。

 P23には、

だが、最近の彼には、「吠える」や「カディッシ」を書いた頃の激しさはない、いつのまりか歯の抜けたライオンみたいに穏やかな詩になった、とする見方がある。このような読者や評論家のコトバをわかしは愚かしいことと思う。彼が日本的な意味で枯れてきた、と見るのは、あまりに常套的だ。彼の精神、心が禅や瞑想に向う時も、彼の胃袋は美味なるワイン、甘い血のしたたる牛肉をガーリックの聞いたワイン・ソースで食べることを愛するのだ。この彼の二重構造こそが、彼の大いなる俗っぽさ、あまりに人間的な魅力を形成し、決して彼を枯れさせたりしない。

と書かれています。

 これは気になったので、引用しておきました。ぼくはやはり、ギンズバーグは「吠える」や「カディッシ」の頃がピークだったと思うし、詩人としての意味も、その詩の文明批評の衝撃性にあったと思うからです。時代というものに真正面から向かった詩なので。

 またP24には、こう書かれています。

 アレンの詩は俗語やラテン語をはじめ古今東西各国の文学や歴史に通じていないとわからない。英語以外の言語も用いるから、自分に相談しないと、まちがいなく翻訳することは不可能だ、と彼は言った。

 

 そして1988年10月20日、砂防会館で「ギンズバーグ・イン・東京」公演が行われたこと。千人の聴衆が集まった。

 

 P25で、白石かずこギンズバーグにこの言葉を捧げています。

 わたしは、ギンズバーグを、ビート詩のマスター・ポエットとして、詩の歴史において重要な存在だともちろん思う。だがそれ以上に、無力とされる詩の力によって時代を動かしてきたことに驚嘆する。政治と経済とイデオロギーで動く世界の、社会の中で、詩人たちの声などは一隅に追いやられ、日頃から無力と思われてきた。その時に、詩が詩の力により、時代の先鋭な批評の眼、予言のコトバをもち、時代をゆり動かしてきたことに、わたしたちは希望をみいだすことができる。 

 

 本から、ギンズバーグの章を読んでみました。

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。