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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

詩集『浮遊する母、都市』(2003年)を読む 2

 おはようございます。

 

 詩集『浮遊する母、都市』(2003年)から「ベルリン日誌」という詩を読みます。

 

 なぜ、この詩を読みたいと思ったかというと、これはタイトルで分かるように日誌という書き方をしているからです。断片の寄せ集めじゃないかと考える人もいるでしょう。しかし、日誌という形をとった詩である、といえます。

 そういう詩の書き方を、学びたかったからです。

 詩は自由です。どんな形であってもいい。読者にとって、そこに興味深い「世界」が表現されていればいい、と思うのです。

 

 詩では、どう描いてもいい、と思っています。

 そう言い切ってしまうのも僭越かも………いろんな詩論があるし、描き方があって………どういう表現をするか、どう書くかに、詩人は心を砕いているので………

 

 でも、自由でありたい………それが詩という形だと思う。

 

 他人に評価されることも大事だけれど、まず、自分。自分が楽しく書けることが大事です。

 ぼくは、詩人のように人生の仕事として詩を書くことを選んでないから、まず、自分が納得できたらいい………

 言葉にすることで、救われることもある。詩では本音を書いてもいい。自分を救済するために言葉が使えたらいい、と思うのです。

 それ以上の望みは………他人に共感してもらえるような詩を書きたい。そのように努力します。

 でも、詩はそんなに大げさなものじゃないとも思えます。m(__)m

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

「ベルリン日誌」は、

  • 断片的な書き方をしているので、最初、何が描かれているの? と思いました。
  • それでも、多くの人が登場して、それぞれの思いとか述べているのをみると、「ああ、集まってパーティのようなものをしているのか………」と思いました。
  • 誤読で間違っているかも………でも、誤読もひとつの読み方です。なにかを感じたらいいと思います。

 

1連。

「天使たちに逢う 若い男たちは/ドウベルマンの耳をしている」から始まる1連は、まず、日記のように、自分だけの、意識の流れ的手法で、男との出会いを綴っていきます。官能的な………言葉で表現する………出会い。ストッキングを買いに、いっしょに行ったこと。たぶん、男はゲイなのです。

「売場の 顔のない女に これこれと 口早に説明すると 虹になり 空へのぼってとけていく ストッキングと 青い海の底に沈んでいき なおもキラキラと そこに雲母が偶然あるかのように光り 次には眠っていく 一足を みつけた/みぞれである 誕生日には」

 みたいな、シュールで、欲望のままに描かれたような文章。きらびやかというか、ファンタジーというか………女の人でないと書けないかも………

 

 警句が入る………

 

 誕生日のみぞれの日に七匹の猫を愛した詩人が現れる。六匹は死んだ。

 

 手紙です。

「マリアンヌ 今日は みぞれがふって天気です 誕生日の上にたくさんのランプがつきました………」で始まる連です。

 ここでは、妖精の話………サックスを聴いて耳が洞窟になった話。

「それが存在なのですネ 瞑想かな いや肉食樹 人間という植物が肉食する人間になったのです」という言葉でわかるように、シュールな感覚があります。

 

5 

 それから家に帰って来て思うこと………「グワテマラのインディオの織った絨毯の湖水は毎日 朝陽と夕陽をあびて深い山の影をおとしています」

 

 夏がくるとアイスランドに逃げだす、ハネ嬢のこと

 

 あんずは踊らない 宇宙飛行する

 

 わたしが見る彼。

「彼は ようやく自分を釣りあげて その重さ を知る 釣る能力の間で ほとんど泣きだしそうに混乱する」

 ハンブルグで………

 車から「現れるシルケとディディ」

「汽笛がなり 川を眺め アップルケーキを食べながら メビウスの帯 ………」

 

「もう きこえない 遠すぎて 天使たちの声が だが ドウベルマンにはきこえる」

 パーティの様子が描写されている連。

 いずれも断片的なイメージを連続して置いています………混乱して猥雑です。

 

10

「眠っているふりをしているアミハイ、天国の雲にひじをのせ、ベルリン東ミッツで、いま ぼくの追悼ミサ、ドイツ人たちが 集まり。うたっているのはヘブライ語の若い娘、………」

 この連は誰かに成り代わって、意識の流れ的描写で描かれています。

(この詩全体が意識の流れみたいなものですが………)

 

11

 多くの友人たちに囲まれた情景が描かれた連。

「わたしは しだいに ふくらむ風船の中の 迷宮に はいっていきます コトバとコトバの切れ目のところで………」

 

12

 幻想なのか………

「ヒコーキから蜂鳥がおりてきたと思ったら 夫人である 彼女はくちばしで上手に頁をめくり本をよむと」

 というイメージの連です。

 

13

「憂鬱は頂点に達する」という言葉が最初の行に書かれています。

 そこから、

「ズールー族の祭司がやってきた 南アフリカは浮かんでいるのか沈んでいるのか いや 氷ではないのです 太陽があの男マジシの中で いま 数百年来おしこめられたドアをあけて泣いているのです」

「人間を責めるべきではない 運命や太陽や神と今話しあってるところだから/マジンよ マジン ズールー創成期の神は どこにいったか/どこで きみを待っているのか」 

 人間への歎きなのでしょうか? こういう時は、その描いてあるイメージを、ただ感じればいいのでしょう。

 

14

「わたしたちは ベトナム料理をたべていた」

「………べとト トとナ ナとム の間に たくさんの薬味がつまっているフシギを フシギな風景を………」

 

15

 猫たちの運命について………その時の「少年はもう七十歳をすぎてしまった。」

「ふりむくことのできない、いや、ふりむいたとき、そこを透明な棺にいれて魂の一番深いところに埋めてやりたい。そこだけは、森にかえっていくと妖精もいるし、いくら、ふりむいても大丈夫、生きてた時と同じように会話して暮らせるのです………」

 

16

 ブレヒトの家、そして、友人たちの「どこからきたの、どうしてきたの、なぜ、それから、銃声、そして?」

「わたしのいる場所はないのです わかりますか ここはわたしのかりの場所」

 

17

「サンフランシスコの方に ぼんやりと彼の家がみえる あッ、ワイフと子供、だが詩人の行く先は流れる雲の中、………」

 幻想を見る、混乱したイメージ。

 

18

「ようやく わたしは 若い天使たちに逢う」という行で始まります。ここは終わりの連。始めに戻ってきました。

 天使についての思いが綴られます………

 

 こういう詩行で終わります。

天使たちは こんな あついベルリンはゴメンだという 羽を生やして 明日 飛ぼうだが 今夜は安宿に戻って眠るのだ

でなきゃ あいつのベッドにもぐろう

あいつって誰、あいつが天使でないなんて

誰が知ろう あいつも天使だなんて誰が知ろう

 

 

 

 まさしく日誌的にエピソードが描かれています。パーティが開かれている状況以外なにもないのですが、それがきっかけになって空想を羽ばたかせていると思えるのです。ここでは記憶も思いも自由に飛翔します。

 テーマというものに束縛されていない、意識の自由さがあると感じました。

 自分にとって意味があれば「書く意味」がある………そう思ったのです。その場所………そこでの言葉………を定着する。

 

 言葉は自由に展開します。書いていくことで世界も構成されるのだ、と知りました。

 

の、「イメージのコラージュ」なのだと思います。

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。