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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

詩集『砂族』(1982年)を読む 2

 おはようございます。

 

  

砂族 (1984年)

砂族 (1984年)

 

 を読んでいます。詩のタイトルを書き出してみます

「手首の丘陵」「砂族の系譜「黄色い湖」「儀式」「生霊」「青空の下に少年と葬送」「蝶道」「桜吹雪く、宇宙の川べりで」「砂行」「眼の国」「砂時計」「砂の民」

 タイトルに砂が多く、それがテーマになっています。

 

 自分のなかにある、砂みたいなもの、わたしでない、わたしの知らないわたしという記憶。そいうことを描いていると思います。テーマは、わたしそのもの、といっていいかもしれません。砂族といっているけれど………わたし、とは誰か?

 そういう意味では、この砂の世界は一種のファンタジーなのでしょう。

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

「青空の下に少年と葬送」という詩を読みます。 

 

 21連の長い詩です。

1連では、

 わたしは地下に広がる神殿にいるのですが、そこから見える青空を区切った周りの建物の三階の窓から少年が何かを見ているです。非常に立体的、構成的な一連です。

「窓から誰かがみている/わたしは神殿にいる」という行から始まります。現場性があります。そしてその少年を欲しいと思ったりする。妄想で自分の胸の広場を歩かせる。

 神殿は地下四階ぐらいの底になっています。

 そこから青空を、建物を見ている。それが描写で表されます。

 

2連では、神殿を見学したりして、羊神のことを考えたりするのですが………突然現れた貧しい四、五歳~十歳迄の子どもたちの音楽と踊りが始まります。「スカートみだらにもちあげ 耳飾りふり 汚れた鼻の穴上にむけ 白い歯のぞかせ 眼もとに好奇心と人なつこさと狡猾さみせて 素朴な楽器ならし ほこりにまみれて 土手の上で 神殿みおろしながら 踊る」

 

 彼らへの思いが書かれています。「彼らは 貧しい 猥雑で 美しい神たちだ」

 作者の思い、彼らへの想像が描かれています。

 

 反対側の土手を大人の葬送が通るのです。

「冗談も/涙も流さず/沈黙のような大音響で 何やら唱え」

 

 青空が葬送の上にあり、列は路地を曲がり、神殿の脇に拡がった崩れかかった塀を通り………どこかへ

 

6連は、

 日記風の箇条書きになっています。

「十一月二十六日日曜 カイロにつく/シェファード・ホテル 一二四号室へ/午後 エジプト博物館に逢いにいく/あの男に/ミイラの部屋 幾十体の王」

 棺桶の中から、起き上がるあの男。

 

 クフ王か………アメン・ホテップか………ラムゼス三世か………

「わたしは確かめることができなかった」

 

 王と一緒に………この時、十数人のわたしも………「棺から すこやかに起きあがる」

「香油塗りこめられたわたしの思想が/コーランのしずくの舌で 次第に膨張し/ナイルの川へと沐浴に往く」という行で、この連は終わるのですが、とても幻想的です。

 

 白石かずこの詩は『聖なる淫者の気節』では、主に自己の心理に写った心象風景を描くことが多かったのですが、ここでは………現実の中に幻想が入ってきています。つまり『………季節』では核は自己の心理、心象だったのですが、この詩集では、核になるもの中心は「現実」である気がします。(ぼくは、詩というのは、現実と←→それを描く主体、の関係だと思っているので………)

 現実を描くことが重要だと考えるか、自分の心理や心象を描くことが大切か、に分かれると思うのです。

 

「十一月二十七日月曜 砂嵐なし/パピルスの船を伯父にもらう」のです。

 その船についての思い、考え巡ることが書かれています。

「わたしの懐中深く眠る もう一つの舟が/この時 舟べりに水音低くたて 眼ざめる」(6行目~)

 そして「わたしの沖は暗く あるいは 霧がかかっていて」

 

10

 黄色い砂漠の向こうう走っていくのは………ラクダでなく、数十人のわたし。

「棺からおきあがると」一二人のわたしが舞う。ラクダにのり………砂漠を駆け出していく、それは「意味ではなくリズムである 勃起である」

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

 10連までをまとめてみました。

 ぼくはずっと連をまとめる形で分析、勉強させていただいてきたのですが………それは、作者に失礼だろう、という気がします。変な読み方をされるのも嫌なことでしょうし、誤読をされるのも嫌な気分になるだろう………そういうことに、気がつきました。

 

 詩は、書かれたそのものです。まとめられない。

 そのものを受け取るのが、読者の礼儀です。今までのやり方を改めることにします。

 

 それで、これからは、おおまかな自分の感想を述べることにします。その感想が間違っていたとしても、自分がそれに気づき、見方を変えるしかないと、知りましたので。

 

  ………………      ………………      ………………

 

11

 帆を求めていたことに気づく

 採集しなかった美少年を海に解き放つ

 

12

 死者の街についての思い その街の描写

 

13

 11月29日 ルクソールに着く その時の様子

 

14

 11月30日 入り口で みんなは入っていった わたしは断り、岩山の方に 生霊を連れた男が………

 

15

 わたしである分身も丘の上に 水を! ………霊魂のやわらかい部分の乾き

 

16

「水を! といった声は誰だったか」

 

17

 12月1日 神殿に立った 青空が降ってくる

 

18

 12月3日 アブシンベル 「ナイルは遂に海になる」

 黄色い砂からピンクに変わる

 

19

 12月2日

 馬車屋の男たちの様子 歓迎の仕方の模様 「帰りに 鶏つかまえて羽むしると一本/髪飾りにと差しだした」

 男たちの愛について思うこと

 男と舟………

 

20

「窓から誰かがみている/わたしは神殿にいる」という行で始まります。1連と同じ地点に戻りました。

 少年が、ひとり………棺からおきあがった幻影も………あの男、わたし自身………葬送の棺に入り………「青空がふりおちて 葬列が通るのを/ききながら みながら」

 

21

「それらに かたちを与えるために」………最終連です。

 最後、飛行機に乗ったという箇条書きがあります。

 青空。

 その下の少年、葬うこと………

 

 

という、おおまかな流れになるのですが、心理や、意識の深さを中心にした構成は、円環状に終わります。

 これはひとつの旅であり、ロードムービのようです。

 以前に作者が「長詩はドキュメント映画のようだ」といっていたと思いますが、そういう構成を持っているようです。

 また、勉強できたような気がします。

 

 来週も、『浮遊する母、都市』という詩集から読みたいと思います。

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。

 また、24日に。