読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『白石かずこ詩集』(現代詩文庫28 1969年)から  詩論とエッセイ

 おはようございます。

 

 

白石かずこ詩集』の詩論を読みます。

 P108に掲載されている「みえる」という詩論。4行目から、

 詩がある日、トツゼンみえる、かく時すべてがみえるというとき詩をかく人は、ようやくホントにみる人、詩人になり、予知する人、予言者になり、哲学者になることである。

 この文章を読むと、白石かずこは詩を書けるということは=予知する人、予言者になり、哲学者になること、と同じであるといっているのです。

 何の予知、予言なのか、どういう哲学なのかは、詩を読んで感じるしかないのですが………

 

 P111のこの言葉───

人は詩に何を求めるか。彼らの欲求を埋めるものを求めるのだ。また、かく方は詩によって自分の欲求を知るのだ。つまりまたしは生きたいのであるか、死にたいのであるか、自分の生存の風景、詩を眺めたいのだ。 

 

 P115には、長い詩について書いてあります。

 わたしはここ、数年、しだいに詩が長くなった。

 短いショート・ショートや気のきいた短篇みたいな完成度のある短詩はもうゴメンだという気があった。それはある程度、才能のあるクロウトの詩人なら、さっさとできることだ。それが何になるというより、その短かさで、いまの複雑なあらゆる精神の状況、いいたい内容、ダイナミックなスケールをもったサムシングを詩に導入するのは、4、5行、あるいは10行などでは、わたしの才能では、とても不可能だ。

 それが長い詩への発端である。

  こういう理由があったのか、と理解できることです。(長詩のコツについては前の号で書いています) 

『続 白石かずこ詩集』(現代詩文庫125)のエッセイ「長篇詩に挑むもの」まとめ 

 

詩においてサクスホーンをふいたり、ドラマをたたいたりするかわりに、詩でソロをするという若い連中は、詩をかくように、音楽を演奏し、音楽をきくように、詩をよみだした。(P116上段)

 

アメリカでビート派の詩人がジャズをバックに詩の朗読をやったのが最初のきっかけで、日本でも、そういう欲求が地下運動みたいに、ちいさなかたちで、ここ十年ほどある。 (P116下段)

 

 こうして朗読詩が、今までラジオのアナウンサー調でなく、別なリズムでよみだされたことにあたり、思うに、朗読すると詩は文字として紙の上に定着し、みてよんだ時とちがい、耳から入り、耳からぬけていく、アッという間の瞬間のできごとになる。

 その時、詩はコトバの単なる遊戯や、文字の上でコケおどかしのきいたものが、何の効果もなく、ムザンに、カモフラージュの衣裳をぬがされ、貧弱な詩はみじめな裸体をさらすことになる。

 ………、眼でみる助けの成立たないところに、時々詩をたたせるのもよいことである。(P116下段)

 

 こういう文章を読むと、詩の朗読がずっと前から行われていたというのがわかります。むしろ、そのほうに正統性があるかもしれない。

 ぼくらは詩を黙読するのに慣れているわけですが、詩を読むという行為は昔はなかったんじゃないかと………現代詩になって始まったのでしょう。近代詩までは、詩は吟詠するものであったり、聴くものであったり、歌うものであったりしたのでしょうから。

 

 P118には、このエッセイの結論的なことが書いてあります。

 詩はカーニバル。祭礼でなければならない。

 そして詩人は、祭りの儀式のオソロシサ、厳しさ、残酷、詩は祭りの祝の楽しさ、酔い、暗黒、すべてをあわせもち、大道芸人のようによむ人をしておもわず、芸術の精神の快感をよびおこさせる、プロの芸人としての芸をもたなければならない。

 それでなくては、自らを、詩人とよんだりしてはいけなくて、いちいち、これはシロオトの詩だとことわるべきだ。

 

  ………………      ………………      ………………

 

 P119から載せられている「ニグロの朝」というエッセイはアメリカという国についての思いと、黒人の生き方への共感について書かれています。ヨーロッパと違い、若い国であり、東部を離れたら、文学的なものが通用するような世界じゃないこと。むき出しの生と欲望が、まず生きる基本であること。なによりも、裸で生であることの意味について。

 

「性と詩人」というエッセイ。

〈性詩人〉と呼ばれることについて書いています。それまで、セックスを大胆に描く詩はなかったので………70年より前の時代なら、世間をはばかったでしょう。そういう意味で、白石かずこは、フェミニストという潮流に押し出されて出てきた詩人だといえます。時代が彼女を選んだのです。

 

 信じられないでしょうが、40年も前は、まだ女性の処女性にこだわる風潮があったのです。

 もちろん自由であればいいというものでなく、時代や歴史というものは、いつも同じような枠組みで繰り返していると思っていますが………

 

 ここでは、白石かずこは〈性〉というものが、当たり前に受け入れられるべきであること、芸術というものがもつエロスというものを解説しています。当時は、性を露わにすることは衝撃を与えることだったのです。

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。