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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『聖なる淫者の季節』第七章、1~14連を読む

 おはようございます。

 

 7章は総括の章です。友人たちとの交流の記憶───淫者たちとの祭りの記憶。最終章です。

 

7年はたち 7年はめぐる

すべては

春でなければならない

で始まっているので、この「淫者の季節」は7年の記憶の総称だったのだとわかります。

人が死ぬのも

恋が

生きたまま埋められるのも

桜の木の

生あたたかい生命の首のまわりで

         ───略

 

 自分への反省。

「わたしという名の人間は/この頃 ようやく/春という 腐肉の美味に匂う/季節になる」

 

 2連から連想される「腐った」こと。

 輝く眼よ 眼の芽。

 眼の月。

 春の宵。

 ビヤガーデンで………かげろうになり………ゴーゴーを踊る………

 

 髪を金色に染めた………これは3連から続いているのだろうと思います。

 ざわめき。声………聞こえてくる声。そのことを描写。

 

「7年目になり/ようやく 腐る楽しみを/食べはじめる わたし と/踊りは 急速に 回転をおとし/炎になり 炎えあがり」

 と転調します。

 長詩においては、連の接続が、起承転結の波を拵えます。転調は自然な流れとして必要なリズムです。

 

「狂気は美しかったが/腐るは/それに まさる/内なる美味しさである」

 という中身の心理は推測できかねますが、読者は、詩人の言葉の波に乗せられて運ばれるだけでいいのだと思われます。

人肉である

眼玉である 美しく腐ったので

月影の苔の緑もうつる眼玉たち また

唇 また裂けた二枚の耳 また

絹のよだれが酔いくずれる舌の居間たち

 というシュールなイメージで歌われます。

 

スティビー・ウォイダーが

スライ&ファミリー・ストーンが

唄う

なにも いや

         ───略

  現実の描写です。それにシュールな言葉が組み合わされます。「春の穴にむかって唄っているのである」

 穴は、誰も手はいれられなくて、荒れて、咆哮していると………

 

「そこには/何も/あれも/ないのである」

 

にもかかわらず

スティビーもスライも わたしも

むかうのは

穴である

 

10

 音………肉………そこから連想されるイメージ。雲………無意味の………恋………犬………通りかかる女………みごもる胎児………

 すべて治った………女は鬼面の尼僧になり………快楽こそ 彼女の念仏

 

11

 この連は追憶の連です。始まりの行は、

時は クル・セ・ママである

オーティスもコルトレーンもいまはいない

ニックも永遠人もいまは いなく

ジョーはみえず

Something some は

生きながら 消えた

     ───略

 と書いてあり、友人たちがいなくなって………詩人の生への思いが語られます。

「生きている哀れさ/犬の方が ハピーである」

「時たちの中で/いまも 男たちの精液に濡れ/ペニスのほむらにやかれながら/ラリって 濡れつづけ/眠りから さめることのできない/弱い よい魂がある」

「めざめるのを怖れる快楽の眠りは/眠りでない」

 それでも生きることを肯定する。

 

12

けたたましい 死の行列が

春の日 つづく

桜の木の下を

みんな 泣きつづけるペニス

笑いつづける子宮を

花びらのように愛撫しながら

ほとんど 生きつづけていると信じる 死の

けたたましい行列たちだ

       ───略

  このイメージはどうでしょうか? わかりそうでいながら、わかりそうでない。具体的なようで………そうではないようです。それは、ペニスや子宮という、それ以上の広がりのない言葉が使われているからでしょう。強烈に、官能的なのですが。

 

 死の行列というイメージが、中核にあります。

 この行以下は行列に参加している者たちが、祭りのように歩いている描写があります。

女は けだしの下に

黒い毛の生えた 豚の首をつりさげていた

また 白い能面の裏には

目も鼻も口もなくて

いっせいに 真黄色の菜の花が咲いている

豆科の少年は

ときどき 首をふった

すると 耳から 海鳴りがきこえ

豆が 内側で ひとつ ふたつ はぜた

         ───略

 

 詩人の言葉はこういうシュールなイメージで裏打ちされているのでしょう。

 

 

 13

「ほんとに死ぬとは 何であるか」

 という呟きのような6行で作られています。

 

14

死の行列といっても

ニセモノの唄たちである

なかなかに 死すら

わたしたちのものではない

 この後に、〈すこしづつ………知らずに死ぬ/知って死ぬのだ〉と書かれてあるので、生も死も、なかなかに捉えがたいものとわかります。

 

 

 7章は26連ありますので、続きは明日にします。

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。