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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『聖なる淫者の季節』第三章、第四章を読む

 おはようございます。

 

 ぼくの部屋は風が入らないので暑くって………蒸し風呂みたいです。貧乏なのでクーラーもないので、正直、まともに考えることが出来ない状態です。夏は困ります。いつかは自然な風が吹き渡る田舎に住むことができるのでしょうか?

 

 と、愚痴をいったところで『聖なる淫者の季節』第三章です。この章は7連しかあり

ません。

 

「その手紙をよんでいたら/涙が 荒馬になって/乱れた文字をまたいで とびハネていく」という詩行から始まる章です。

 

 手紙を読んだ心象風景です。

 3連「わたしは 人間でないもの/いわば 人間を超えるものが/あばれるのを」

 4連では、「カーテンを ゆすり/恋しいと モズか猿かが/一声 なき叫ぶ」

 

 5連では心情が吐露されています。

「夢は 死体のない墓場である/また 生きた首の/ときどき ころがる 不思議な/いきぐるしい墓場である」

 わたしの男に、きこえただろうか………

(男は鷲を撃ってはいけない、と教えてくれたのです。)それで、今日、かわりに、鷲を撃ち殺したい………受話器を………塗り込められた言葉を………受精したい………

 このへんは相変わらずシュールなイメージです。

 

「非常に 雪がふりはじめた」と終わりの連は始まります。

 男は半身、雪になり………わたしの音楽は雪に埋もれ、言葉は雪をかぶった子犬になって………

 

 

第四章

 日付が入っています。「1968年 Spring 」───そのときの記憶でしょう。粉雪が舞っています。地上におりてこない愛………鷲のとぶのをみなかった………

 鶏小屋風の停車場に、………ソフトをかぶった、暗い男に、逢いに行ったのです。

 それは記憶であるのですが、「それらは 実在でもあるのに 影でもあり/わたしは/いまもって しらない」

「わたしは あの男が/ひどく若い鷲であったか/くたびれた初老の犀であったかも/しらない」

 2連はこうなのですが、3連は「気がつくと/わたしは サンフランシスコの/サニー・サイドにいる」と始まります。

 そこでヘミングウェイの言葉を思い、別れのキス、アイリッシュ・コーヒーの味を思うのです。

 

 作者の記憶や思い出は、自由に飛びます。それがこの詩のいいところかもしれません。

 

 5連には、

「夏になると/あの男は やってきた/犬の陰茎が恋しい/夕焼の赤い炎を 舌の上にのせたい」と歌われます。

 男の中を………「体をまるめた胎児になり、生まれでないまま通りすぎていく、何匹ものわたしが」みえるね、ここから………と歌われます。

 まさしく白石かずこの詩行は歌っているのですね。描写しているのでもない、記憶を確かめているのでもない、歌っている………幸せだった頃を振り返っているのです。そのために心象のイメージがあり、それを手繰り寄せている。だから幸せが官能的なふうに見えるのです。そう思うのです。

 

 それからJ・ブラウンやオティス・レディング………マサオ、シゲ、カオル、風、エリック、マビエルなどが現れます。それらの瞬間人………ニセの………だからホンモノの永遠人………ソールの雲にのり踊った………

 

 9連は、

彼らは したたる血 したたる薔薇

街角にたつ 巨大なペニスの木に 夜毎

はりつけになる 陽気な娼婦たち 神たち

コーモリたち 吸血鬼たち 無心たち 邪気たち

センチメンタルで 精力的な

幻影の浪費家たち

 と、歌われます。

 

10連………「薔薇に 恋するフカをみた」と

フカが いま 飲みこもうとする口許に

歓喜の声をあげて 墜ちていこうとする

人間の手足をみた だが 

 それは、「空に 吊るされたままだ」

 

 どうでしょう、このイメージの自由さ。というか、理解不能なイメージ。はたして深い意味があるのか、ぼくにはわかりません。でも、作者が真摯にこういうイメージをみて、それを歌っているのだということはわかるのです。非常にシュールです。精神分析的にみればなにか意味を見いだせるのでしょうが………

 

電話をかけるのか それとも

手足ごと 空をはがすのか

しかし わたしは

首のない 胴のない 手足だけが

ぶらさがる空が好きなのだ(10連) 

 

 友人たちのなかのジュンから連絡があり、「ジュンの住所とソールもまた/微妙に 嵐の匂う方へ 動きだした」と描かれます。

 

わたしは しだいに

わたしという猿を手なづけはじめる

シモンもまた 自分のつくる人形に

手なづけられつつある(12連 2~5行)

 

13連は迷いの告白です。

「だが わたしの仏陀は どこにあるか」

 わたしの思う………男への………思い。「あの男は 凡庸だから仏陀にちがいない/あの男は 幻影をみない」(4行目)

 

15連は最終連ですが………

しだいに 秋の方に

もっと 秋の方へと歩いていくにつれ

わたしは 幻影の兄弟たちが

もはや現実にこぼれおちてやまないのを

吊るされた手足のある空も また

現実であることを

みるのだ

 

 

 

 明日は第五章を読みます。

 だんだん現実のドラマみたいなものが、描かれたりしているように思います。

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。