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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『聖なる淫者の季節』第二章を読む

 おはようございます。

 あまりに暑いので、服とかシーツとか全部を洗濯していました。洗濯は気持ちがいい。

 散髪もしました。

 部屋の掃除もしました。

 暑いのは自然のことなのでしかたないです。

 

  ………………      ………………      ………………

 

『聖なる淫者の季節』第二章を読み始めます。ぼくはこの詩で、作者は何を描き、なにをいいたかったのかを………知りたいのです。

 自分が長篇詩を書くための参考になるので………長篇詩は長い息づかいのリズムを持っています。そのリズムに乗っていける読者がいれば、それは幸いでしょう。快楽のリズムだから。

 

  ………………      ………………      ………………

 

2章は19連でできていますが、それぞれの連が長く、詩人の内部の心理的イメージも多くなり、ますますシュールな感じになります。

 記憶や過去のイメージが現実に蘇ってきて、それがシュールなイメージになるのです。

 歌われていることは、愛の風景です。

 

 

 一章は春でしたが、二章は夏です。それも全体の印象を強めているかもしれません。

「聖淫の影がみえない」Somethig some  がみなない………と作者はいいます。

 でも、いる。「そこに/そこ ここに」(2連6行目)

 

 シュールなイメージが描かれます。てのひらに……… 汗まみれになっているsome の肢体。

  毛穴の中にもぐっている彼の暗闇。 

「愛である/霧である」と作者はいうのです───「けだるい蜜である」と。

 

 次の4連では、彼は子宮の空を飛ぶ鳥になります。

 また、それは「一匹の死んだ鳥」でもあります。

(これは1970年に刊行された詩集です。当時「子宮」というような表現を、官能的な意味で使ったのは白石かずこが始めだったような気がします。いまではこんな表現は古いでしょうが………その当時は斬新な表現だったと思います。こういう表現は流行すると、衝撃が薄まって………シュールでモダンなスタイルとなっていくのですが………)

 

 5連はわたしが思うことの連です。

 生まれるということ。死ぬ、亡びるということ。

「生きることは/またたくまに 生きることだ/またたくまに 性交せよ/死ね」

 

 6連はジャマイカの男への思いです。

 裸。手足。眼つき(盗賊みたい)

 けがらわしさのない………

 つまり、ストレートな賛美の言葉です。

 

 

 道端で男を拾いたい………葉巻のように吸いたい………しばらく………

 

「おまえ」への思いが7連です。

「日常という ちいさな肉」………(この表現がいいのですが)肉としてのおまえが欲しい。手にとり、かぎたい。スープにし、味わいたい。官能的描写です。肉としてあるおまえのやさしさ。魂のやさしさ。

 

 9連はブロット的に説明の部分です。

 男は4日ほど遅れて帰ってくる。

 

 そしてまた、わたしの日常のなかに球体になってはいりこみ、そこに棲息するのです。ここはシュールで官能的なイメージです。

 

 11連はわたし自身を振り返っています。

「わたしは 亡びたがっていた」(2行目)

「あまりに 魂をのせるには/重い と/らくだの背中は思うのだった」(5行目)

 男と寝る………感覚の卵をもっている………それは………芸術

 

 12連はボクシングをみたことです。

 ここは記憶を描いているシーンです。登場する選手は───パターソンです。

 

フロイド・パターソン - Wikipedia

 

 

 たぶん好きになった男がパターソンに似ていたのでしょう。

 サム………「彼は そばにいた/いまも いる/非常に 美しい眼で」

 わたしは泣き出しそうになります。

 

 男の smile について描いてあります。「たえがたい やさしさ」

 微笑を、井戸の底から汲み上げるように、わたしにくれるのです。

 

 

 そして15連。

 すでに秋。

 おまえはいなくなっています。人生の、今日「銀色の雨が降っている」のです。

 

 16連は、

「もはや 哀しみを哀しまない わたしは」という行から始まります。

「哀しみすら 快楽の皿にもる」

 わたしは音楽し始めるのです。猥褻な眼が、鼻が、唇が、手足が、毛が………シュールレアリズムの心理の裏庭に流れ込んできて………

 

「わたしは もとの淫者に戻る」

 これらの恋愛の体験から「サムシングサムエルの 聖なる性なる羽毛を」選び出すことは困難だからです。

 そして読者にはわからないイメージなのですが………

「………人類のメスの/性器の中から/ミス・ミニュリエルの凡庸にして/ポエティックな ボクスを/みつけだすことが/ほとんど 不可能な 仕業であるように」

(ミニュリエルで検索すると

ミュリエル・スパーク - Wikipedia

が出てきましたが………合っているのか………)

 

 

 18連ではひとつの諦観が訪れています。

「この日こそ 愛していたことがわかるのだ/ロバは ロバの背中を/あなたは あなた自身の小さな/失落の部屋に住む仏陀

 

 そして終わりの連です。

「わたしは わたしの/背中を撫ぜると 何ひとつ/つきでるコブもなく/わたしは 背中が まったく/砂漠なのを知る」

 そして、ほとんど、隊商になり、いくより………彷徨うしかないのだ、と。

 

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。

 

 3章も読みます。また、10日に。m(__)m