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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『聖なる淫者の季節』第一章を読む 10連まで

 おはようございます。暑いです ^^;

 

 ぼくは16歳(1966年)のときに書店でギンズバーグの「吠える」を読んで感動して、人生というのを、その詩に描かれたようなイメージで捉えてしまいました。

「僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを 飢え 苛ら立ち 裸で夜明けの黒人街を腹立たしい一服の薬を求めて のろのろと歩いてゆくのを」

 このイメージは衝撃でしたし、現実をまったく違う視点から眺めるものでした。とくに日本の底辺層で働いていた自分には、アメリカとか西洋の文化というものが、手に入れられない憧れのものに写ったので、その文明のネガティブな苦しみさえもが救済のように感じたものです。

 

 白石かずこは1970年に『聖なる淫者の季節』を上梓しています。白石かずこの詩を読んだのはずっと後ですが………70年代の終りの頃………同じく長篇詩でありながらギンズバーグとは違って、バタ臭い西洋風のお洒落な詩だと思った記憶があります。いまから考えれば、男と女の恋愛詩なのですから当然です。

 

『聖なる淫者の季節』は七章で構成されています。 

 一章は38連で作られた長い詩です。ブロットの山や谷がありますので、見ていくことにします。

 

 4月であることが告げられます。「すでに/わたしは 入っていた/聖なる淫者の季節 4月に/没入する神の 失落に満ちた顔を/わたしは 太平洋の西でみた」

 世界を、地球規模で捉えている………地図的にも………そんな感性を持った詩人は、白石かずこ以前にはいなかったように思う。

 「永遠とは 消滅であった」みたいな、言葉を飛躍させた用い方も………

 

「さんたんたる若い愛を カモシカのまたの間にみた/また つくしの生えてくる地面の/熱い土の怒りの 吐息の中にみた」

 の部分は、直截にペニスを連想させます。

 性を歌う詩人として………登場したのです。

「精神の井戸をホル男がいる/イレズミ師である」のフレーズは、男を刺青師として、シュールな感じで捉えています。

 ホル、イレズミとカタカナになっている使い方は、従来の意味と違ってもっと軽く、違った認識を読者に与えたかったのでしょう。そういうカタカナの使用が目立ちます。

 また、作者が多くの他国の作家の作品を翻訳している、そういう言語に対する感覚を持っていることもあると思います。

 

「男は自分のイレズミの宿命の香り/運命のイビツにして残忍な爽快さを知らない」というフレーズは、観念的で、具体性がありません。白石かずこは言葉を自由に使う。それまでの「言葉の意味に囚われていた」言葉をそこから開放してしまう。そこがモダニズム的なんです。「運命のイビツにして残忍な爽快さ」は、詩を書いていくなかで生まれ、読者がわかるものなのでしょう。ある意味、言葉を恣意的に使っている。雰囲気だけで使用しているともいえます。それは後に、荒川洋治の「娼婦論」や「水駅」になって結実すると思えるのです。

 

「男という名の薔薇の/イレズミになり」「その女の魂ふかく/もぐりこみ」………

 それで「女の魂が ゆれるたび/イレズミの薔薇は 黒く 男の声で笑い/涙の血を ふるいおとすのだ」

 というイメージが描かれています。非常にシュールじゃないでしょうか。

 

 みみずやロビンがないている~季節が………と呼ばれるのですが、「女はイレズミがあり/亡びることができない 暗い部屋/女は 暗い部屋だ」と描写されます。

 恋愛における女の悲しみ、のようなもの。

 

「死ぬことは/おそれることでもなかった/しかし 別れることは」

 この連は、このフレーズだけです。

 ここにこんな短い詩句があるだけでリズムが生まれ、ひきしまります。

 

「ひとりの男は/あまりに ひとりである」

 男について描いています。

 5年生きた、と………恋愛関係が5年続いてきたということなのでしょう。

「彼の かつての女/女神が 淫にやけて ちぢれただれている」

「彼女は もはや女神とみえず 女蜘蛛だ/しかし また 女神にもみえる」

 男はしゃがみ、くしゃみして………「世界を しわくちゃにし まるめ/顔のそばゃもってきて ぬぐった」「しわくちゃの世界はハリツクキ/彼は その世界に/地図のように/そっけなく 立つことができた」

 

は、6行です。男とは………

「男は/男とは ほとんど犬である/と 思うことで ほとんど男であった/ほとんど 哀しみであり 絶望であり/全世界である として」

 この飛躍した表現が好きです。

 

は、男との思い出です。あるいはしたこと。

 ボーリング。ボクシングをみにいく。「ハカバにいく前に/ちょっと人生に よりにいくでしょう」

「いくでしょう 非常にいくでしょう」

 電車やイメージや苦痛や、現実などにのり………

 

「1周間がたった/しかし 昨日は/すでに 永遠だった」で始まる9連は、恋愛の終わりを描写しています。「熱い地獄の涙が/マタの間を ゆっくりと流/祖先の精の霊のむこうへ/ハミングしていき/虹となる」

 心理描写です。現実はデフォルメされて描かれています。

 

10

「昨日 わたしは/古い時と メモリーを 切り倒し/谷底にけおとすと/新しい木を抱いて ねた」

 というイメージも爽快でありながら、シュールです。

 ここでは心象風景が現実を超えて変容の要素になっています。

 

 と、読んできたのですが、ここでいちおう恋愛を描くことは終わります………次の連から心理内容の描写が始まります。長くなったので、明日に続けることにします。

 

 

  ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。