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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『続 白石かずこ詩集』(現代詩文庫125)の解説を

 おはようございます。WIN10にアップデートされたのですが、使いにくくなっています。それに……いまはgoogl日本語入力が削除された状態なので………

 

 いま、新しくインストールしました。

 でも、ソフトの立ち上がりが遅くなった気がするのです。

 

 

 ………………      ………………      ………………

 

 せっかく書いた記事が保存できていなくて、なくなってしまったようです。

 しかたがないので、思い出してまた書くことにします。

 

 ………………      ………………      ………………

 

 

『続 白石かずこ詩集』(現代詩文庫125)(1994年刊行)の解説、「『今晩は荒模様』をめぐって」は飯島耕一が書いています。

 詩集は1965年に発刊されていて、解説は1966年の「詩と批評」8月号に書かれたものです。ふるい文章ですが、白石かずこが詩壇に与えた新鮮な衝撃が読み取れます。

 この詩集は、

バイ バイ ブラックバード
数百の鳥 数千の鳥 が飛びたっていくのではない 
いつも飛びたつのは一羽の鳥だ
わたしの中から
わたしのみにくい内臓をぶらさげて

というのが冒頭の詩なのですが、それに対して

 

P143

 煩瑣な意識をつらねた詩、あるいは意味を背負いすぎた言葉に倦むとき、この単純さはよろこばしいものである。 

 

飯島耕一は書いています。

 

 また「the day」という詩も引用しています。

沢山の受話器よ

また たくさんのジュンの涙よ

また 天気よ

たくさんの天気よ

 

 この後も引用されているのですが………

 つまり、こう書かれています。

P146

 白石かずこは言葉を使って書いていない。言葉を踏み外すことをごく自然に行っている。「ダダは言葉をアクシデントのようにしか考えない。彼らは言葉が生まれるままにする」とジャック・リヴィエールは「ダダへの感謝」のなかで云っているが、まさしく白石かずこは言葉をズルズルと生まれるままにしている趣がある。詩句とか散文とかの保守的な境界を彼女は実に無造作にのりこえている。

 

 これが白石かずこの登場の反応でした。まったく新しい地平から言葉を使って現れたのです。

 

  • このモノローグ的な、個人の心理の世界をそのままぶつけたような詩は、伝統的な詩壇にとって衝撃的だったのです。

 

………………      ………………      ………………

 

白石かずこと詩」という題で吉岡実の文章も載っているのですが、「ハドソン川のそば」についてこう書いています。

私は今までの現代詩に全くなかった新鮮なものを感じた。

 

 その後、『今晩は荒模様』のなかの「冷房装置の中のラプソディ」を引用しています。

 

愛人である 愛猫である

愛鯨である 

 

 そういう言葉の使い方に驚いているのです。

 

非常に海がほしい

海水浴が ほしい とおもって行ったら

海は なかった

海水浴もなかった

曇っていて 雨が降り

あれは 海でない

わたしの体は 紫色にハレあがり

入水しない前から もう

死体の色が 感染していた

       「この海」 (後略───)

 

 

P150の文章の最後はこう結ばれています。

白石かずこの詩は単なる想像、インスピレーションの所産でなく、すべての生活、日録のリアリティーを過剰な反復性の中にとじこめた滑稽で厳粛な詩ともいえよう。」

 

 

………………      ………………      ………………

 

 引用ばかりになってしまいました。

 じっさいは、もっと自分の感想を書いた部分もあったのですが………細かいことを忘れてしまったのてシンプルにしました。

 白石かずこは、自由を体現している詩人のような気がします。自分の言葉で詩を書いているように思うのです。もう少し、読んでいきたいと思います。

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。