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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『詩のたのしさ』を読む 8章 可能性をさぐる 9章 詩人のねがい 10章 詩の効用

 おはようございます。

 

【8章 可能性をさぐる───実験の意味】

を読みます。

 詩の歴史は、詩論の変遷でした。考え方や書き方の変化の歴史です。

 実験として行われた技法の変化でもあります。

 

 ここで引用されている詩は───

 いずれも日本に西洋の詩論が輸入され、実験として詩が書かれた時代のことです。新しい技法としてもあったそれらは、新しい思想でもあったと思います。

 

 シネ・ポエムの手法で描かれた竹中郁の「ラグビイ」も引用されています。

 

 西欧ではシュルレアリスムの連想の手法で描かれたブルトンとスーポーの「磁場」が「世界」を捉え返していました。

 

 ドイツでは新即物主義に基いて、物体のように明確で、主題と構成が詩的曖昧さを排除する、理解しやすい詩が書かれました。

 

 この章を締めくくるのは小野十三郎の「大怪魚」です。それは怪魚を描きながら、その時代の世相や政治をアレゴリー(寓話)にして風刺し、パロディにしています。

 

 ここでも作者がいう「イメージは思想」であり、技法はそれを助けるものです。

 

  ………………      ………………      ………………

 

【9章 詩人のねがい───夢の役割】

 

 著者は、詩は願望を描くことが多いのだ、といいます。言葉にそれを実現する力がこめられるからです。

 

 

 また、そればかりでなく、意識下にある非現実を作り上げ、提示します。まさにシュルレアリスムの端緒となったランボーの詩「錯乱Ⅱ」

 それは想像力が現実に開放される過程につきあうことかもしれません。

 

 

 南米ウルグアイ生まれの幻想詩人、シュペルヴィエルの詩が掲載されています。

    「動き」

その馬は首をまわして

だれも見たことのなかったものを見た

それから草を食みつづけた

ユーカリの木のかげで。

 

それは人間でも木でもなかった

一頭の牝馬でもなかった

葉茂みをゆさぶった

風の名残りでさえもなかった。

 

それはなんと二〇〇万年も前に

もう一頭の馬が

不意に首をまわしたそのときに

見たものだった

 

そして人間も馬も魚も虫も

その後はだれも見るはずのないものだった

腕もなく脚もなく頭もない

彫像の残骸そっくりに

大地が壊れてしまうまで。

 ああ、いいな。

 このちょっとした動きに、隠されている生命の原初にあったものを想像させ、不思議な夢の世界に連れて行ってくれます。

 

 

  そしてこの章の、後は………日本の戦争時代の抵抗詩の話が続くのですが………引用された詩だけ挙げておきます。

       (「腸詰めをぶら下げた巨大な頭を………」の短詩です)

 

 そして最後は黒田三郎紙風船」が掲載されています。

 詩は希望となる言葉なのです。

 

 

   ………………      ………………      ………………

 

【10章 詩の効用───すぐれた詩の条件】

  この章で書かれていることを箇条書きにします。

  • 詩は、その比喩や、イメージや、リズムの魅力によって、私たちに快美感を伝え、私たちをたのしませ、喜ばせてくれる。
  • ケストナーの詩集『エーリッヒ・ケストナー博士の抒情的家庭薬局』で、次のような索引がついている。「貧乏にであったら」「孤独にたえられなくなったら」「生きるのがいやになったら」「同時代の人間に腹が立ったら」………などなど、です。あたかも医者が様々な症状に対してくれる薬のように、詩を慰めや、励ましや、勇気を持ち、共感できるものとして処方できたらいい、という趣旨で作られた詩集です。
  • 一篇の詩が伝えるのは………発見のよろこびです。詩が発見させてくれて、私たちの習慣的なものの見方や感じ方、考え方を変えてくれること………

 

  そして片岡文雄石垣りん山之口貘の詩が掲載されています。

 

 

 

 片岡文雄「卓上の思想」

りんごをかじる

ときにぼくら思い出をかじるように

りんごをつくる人をかじる

何代もの経験が監視にまわり

豊作の幻影のからまりあう果樹園に

みえかくれするすっぱいおんなをかじる

雪の来ない季節に虫をとり

りんごをもぎとるやわらかい腕を

さくさくさくさくかみしめる

 

ぼくら

死の歯ごたえをたしかめる

死はどんなに溶けていくものか

死はどんな味であるか

ぼくら核になるまでかみしめる

          (二連───後略)

 

http://homepage2.nifty.com/futabakoubou/114kouki.pdf

  ここに片岡文雄が亡くなったことが書かれたエッセイがあります。

 

  石垣りんさんや山之口貘さんはあまりにも有名なので………もう、わかってらっしゃると思います。

 

 以上で、この本を読み終えました。

 勝手なぼくの省略の仕方で駆け足で通り過ぎましたが、重要な事は書いたつもりです。この本は易しく書かれてありますが、内容は深いです。ぜひとも本をお読みください。おすすめします。

 

   ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 今日が、穏やかで、平和な日でありますように。