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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『詩のたのしさ』を読む 2章 比喩───ことばのよろこび

 おはようございます。

 

 講談社現代新書の「詩のたのしさ」を読んでいます。それは自分のためです。現代詩という巨大なものを考えると圧倒されてしまうので、初心に帰って、いつも原点を大事にしなければと思うのです。

 

 

【2章 比喩───ことばのよろこび】をまとめます。

 詩の言葉は、文語定型詩 → 口語自由詩へ変化してきました。現代では詩の言葉は日常的に使われる言葉で特殊なものではないのです。

 普通の言葉で詩(ポエジー)ができる。

 

 詩は作者の主観が描かれたものです。

 描写される現実があるとすると、この現実は、様々な捉え方があり、客観的真実はないのです。ぼくらは客観的に真実を知りたいと努力しますが、ひとつの歴史的事実でさえ、考え方によっていろんなふうに語られます。

 詩は「作者が描写する現実」です。作者の考えた現実世界です。

 それに共感するにせよ、否定的に思うにせよ、詩の言葉は普段、共通に使う日常語でと作られています。

 なぜ、そんな詩の言葉に感動するのか………

 それは、言葉がそこに置かれることによって、現実を新しい見方で描写し、体験させるからです。

 

 そして比喩───

 比喩は新しい現実を持ってくる。

 特に、隠喩は。作者の主観がより強調されたものなので。

 

 それで現代詩は作者の恣意的な隠喩だらけになって、読者がついていけないものになってしまったのですが………いまは、違うのでしょうか?

 

 この本ではヘッセの詩が紹介されています。

私は夜ごとを荒れ狂ふ海だ。

古い罪に新しい罪をかさねて、

いけにへに重たい歎きの海だ。

          (ヘッセ「私は星だ」尾崎喜八訳、「現代世界詩選」昭和30)

 

 言葉は時代に連れて、変わります。その時代に使われた言葉のニュアンスは古くなり、取り残される………

 ヘッセの詩に並べて、三好豊一郎の「手」(昭和45)という詩の部分が引用されています。

おまえのうなだれた手をみろ

枯木の手

脈管の露出した半島

毛をむしられた鳥の翼

悪夢の爪

偽善の握手 喝采………

 

………………      ………………      ………………

 

 P48に高野喜久雄の「独楽」が載せられています。

 

如何なる慈愛

如何なる孤独によっても

お前は立ちつくすことが出来ぬ

お前が立つのは

お前がむなしく

お前のまわりを 回っている時だ

        (一連) 

 

 ここで、高野喜久雄の「下さい」「あなたに」「椋鳥は」「ひとりの友に」「深海魚」「鏡」「独楽」が読めます。サイトの方、感謝します。

 

「笠木透の『私に人生と言えるものがあるなら』と高野喜久雄の『独楽』について」というエッセイも紹介しておきます。(感謝です)

 

 

 この、形而上学的な比喩!

 こういう比喩が書けるなら、楽しいだろうな、と思います。

 そして、詩を読む者も、楽しい。

 

 

………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。