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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『近現代詩を学ぶ人のために』15章を読む

 おはようございます。

【第15章 ラディカルな詩の空間】のまとめ

(1 60年代の詩人の登場、そして70年代へ)

  • 1960年に入って、戦後生まれの詩人たちが登場、「60年代詩人」と呼ばれた。
  • それによって前の世代は「50年代詩人」と呼ばれるようになった。
  • 50年代詩人は「感受性の祝祭を生きた」(大岡信)が、60年代詩人は、書くことの根拠を問い直し始めた。

 

【詩誌】(創刊時。後、二次あり)

1958年8月 「赤門詩人」天沢退二郎渡辺武信

1959年3月 「青鰐」鈴木志郎康、高野民雄

1960年2月 「三田詩人」岡田隆彦、井上輝夫、会田千衣子、吉増剛造

   8月 「暴走」渡辺武信天沢退二郎、高野民雄、菅谷規矩雄、野沢映

1961年6月 「バッテン」渡辺武信天沢退二郎鈴木志郎康、高野民雄、藤田治、

            秋元潔、彦坂紹男、山本道子

1962年1月 「あんかるわ」北川透

   2月 「ノッポとチビ」清水哲男、大野新

   7月 「ドラムカン」井上輝夫、岡田隆彦吉増剛造

1963年5月 「長帽子」郷原宏、安宅夏夫

1964年4月 「凶区」渡辺武信天沢退二郎鈴木志郎康、菅谷規矩雄、

          高野民雄、山本道子

 

 

 

  • 「赤門詩人」と「青鰐」とのつながりから「暴走」および「バッテン」が生まれ、やがて60年代詩を代表する同人誌「凶区」の創刊に至る過程が見える。
  • 60年代詩人は批評家を兼ねる人も多いが、北川透が代表的。
  • 名前の出ていない入沢康夫は「感受性の祝祭」と同行せず、近代的主体による抒情を否定するポストモダン的な詩学を追求した。「擬物語詩」や、詩の「語り手」について考察した。
  • 「戦後詩」に替わって、「現代詩」と呼ばれるようになった。

 

 

(2 同人誌と詩壇ジャーナリズム)

  • 1959年6月に思潮社から「現代詩手帖」が創刊され、先行誌「詩学」「現代詩」「ユリイカ」と併せて商業詩誌四誌の時代になった。
  • 61年に「ユリイカ」は廃刊(第一次)。「現代詩手帖」が、詩壇の主導的地位を築いた。
  • 「長帽子」の郷原宏は、「同人誌を後方基地化したジャーナリズムの圧政」という言い方で、詩壇ジャーナリズムを批判した。
  • 「あんかるわ」の北川透は、詩誌の直接購読を訴えた。
  • 「白鯨」の佐々木幹郎は、創刊号で「雑誌を、表現作品の発表場所と考えるものは〈詩と思想〉という名に値しない。雑誌はあきらかに、自己の書く作品とは別の軸をもつひとつの表現作品である」と宣言している。
  • しかし、詩を勉強する者は、「現代詩文庫」(68年から一月一詩人の詩集を発行)を読んで、学んでいくことになる。

 

 

(3 六月の詩人、詩の根拠へ)

60年代詩のラディカリズムとは、詩を書くこととはどういうことか、書くことにおける言語とは何か、そもそも何が詩か、詩はどこにあってどのように生まれるのか………ひと言でいうなら詩の根拠を問いつづけることだった。したがって「60年代詩人」といっても、そのラディカルな在り方は各人各様であることはいうまでもない。(P253) 

 

  • 共通したのは「六月の詩人」としての経験だった。60年反安保闘争の敗北。
  • 「暴走」2号には〈六月の死者を求めて〉と副題した「眼と現在」(天沢退二郎)「つめたい朝」(渡辺武信)を載せている。

 

    「つめたい朝」  渡辺武信

あらゆる記憶が

告発の形してかがやくぼくたちの街で

ひとつの小さな死の重さを測ることは

ほとんど無意味だ

だから ぼくたち測るまい

記憶の中のきみのまなざしの重さを

 

 

(4 政治的ラディカリズムから詩的ラディカリズムへ)

 

  • 60年代の詩的ラディカリズムを代表した詩誌が「凶区」。その理念を主導したのが天沢退二郎である。
  • この節では、天沢退二郎の詩「眼と現在」をテキストに、描かれた少女の分裂した身体性、まなざし、重層的なイメージを考察している。
  • 言葉による詩的ラディカリズムの表現。

「樽きちがい」を引用して………

ここでは戦後詩ヴするどく開発した隠喩の方法も拒否され、ことばは、現実の「向こう側」から発話する行為の「自然発生性」にゆだねられている。イメージとイメージが相殺しあって像を結ばせず、ことばは意味へ向かうことを拒絶している。そのこと自体が不気味で不安をよぶが、断片化された不気味なイメージの群れの個々も、それに干渉している。こうしてことばは意味から解放されたわけだが、では、これが詩だとなぜいえるか。それは、この作品が天沢退二郎という詩人によって「詩」として書かれたこと、それが唯一の詩の根拠である。(P258)

 

 

 

(5 語ること、書くことをめぐるラディカリズム)

 この節では、天沢退二郎詩集(現代詩文庫11)の「詩論」を引用して、ラディカリズムの根拠を探っている。

「肩凝りがふだん意識していない肩という身体部位を、あらためて思い起こさせるように、わたしたちは非日常を媒介として日常に気づかされる。自動化した日常の自明性が非日常の出現によって破られ、非日常的な病をもかかえて在る現実を入らされるというわけだ。………」

 

「ほんとうに〈君〉の〈すべて〉と出会おうとするなら、すすんで〈分からない〉もの〈分かりにくい〉もの難しく見えるものを呼び込むほかない。そして〈すべて〉としての現実に耐えることだ。

 

ラディカルなその詩は〈つねに未来〉として、歴史化しえない「現在」の「向こう側」からやってくるのである。

 

 

 そして鈴木志郎康に言及する。

………たれにとって「言葉は他人への無限の憧れ」としてあるのだが、自分の「妄想」が「どんな意味を持ち得」るか分からないたに「他者への直接のかかわりについての不能性」を自覚せざるを得ない。(P259)

 

 そして、箇条書きにまとめるとこういうことだと思う。

  • この過剰な意識が、「口辺筋肉感覚説による抒情的作品」という音だけの詩を生んだ。
  • また「私は人妻が手淫していた」のような文脈を解体した詩が生まれた。
  • 「妄想」の自覚は、やがてプアプア詩へと向かってゆく。

 

 

 

(6 感じやすい耳、悩ましい声、疾走する詩の詩!)

  • 吉増剛造を初期の「疾走詩篇」を引用している。
  • 〈詩の詩〉といっても、詩の語り手がメタ・レベルから詩を操作しているのではない。
  • 詩が詩論を語り、詩論が詩作品となる。
  • 書くことに詩の根拠を結びつけた、そのはじまりは、60年代詩にある。

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 明日の16章でこの本を読むことは終わりになります。では、明日。