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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『近現代詩を学ぶ人のために』11章を読む

 おはようございます。

【第11章 プロレタリア詩】のまとめ

(1  プロレタリア詩とは何か)

 1929年『戦旗』から「南葛の労働者」(森山啓)

荒川は南葛の無産者の苦悩の夜を流れる静脈

荒川は南葛の労働者の

奮起の朝に波立つ動脈

 

茫々たるその河原よ!

波はサラサラ時を流し

風は絶えまなく警報をつたへる

        (後略)

  • この詩の荒川の地区の労働争議は1922年まで遡る。 「南葛労働会」
  • また、23年の関東大震災の時に起きた亀戸事件の影響が残っているといえる。

 

森山啓 - Wikipedia

 

森山啓

 

「森山啓の社会主義リアリズム論」

 

 

 

(2 近現代詩のコースのなかのプロレタリア詩)

  • この節では中野重治の『日本現代詩体系 第8巻』の「プロレタリア詩の発展」の文章をもとにして、解説している。 
  • 民衆詩派においてさえ「民衆」は外から眺められ、呼びかけられるものだった。
  • アヴァンギャルドを経て、はじめて民衆は登場してきた。経済・生産関係の構造変化は世界同時的なものだった。

 

(3 プロレタリア詩が問いかけたもの)

 大切なのは労働者の悲惨な現実や権力の圧政をうたうことにあるのではなく、そうした現実をもたらす社会構造の総体に組み込まれている人間のあり方についての問いなのである。だからプロレタリア詩というものの出現の意味の必然は、労働者や民衆の上にのみあるのではなく、日本文化そのものを浮かべたものとしての資本主義的経済構造に組み込まれているすべての人の上にあるのである。先の中野重治の解説の、民衆詩派ののち「望まれた当の主人公が、現物としてここにあらわれた」「民衆・労働者」と、それが現物としてあらわれたことによって名指された「日本文化そのものをその上に浮かべた」ものの明らかな出現と、この二つの段階が民衆詩派ののちの詩にはあるように思われる。(P194)

を、引用しましたけれど………韜晦で、意味がとりにくいのです。

 しかし、「民衆詩派とプロレタリア詩は違うんだ」といいたいのはわかりました。

 そして労働者自身が書いたという、「工場哀歌」が引用されています。

 また、〈複合的な資本主義的経済構造と、それを支える人々の意識を端的に名指した詩の例として中野重治の「帝国ホテル(1)」(『驢馬』1926年)が引用されています。

 

中野重治 - Wikipedia

 

中野重治記念文庫

 

「名詩」の紹介(その50) 「歌」 中野重治 / Slownet -SNS-

 

 

       ………………     ………………       ………………

 

 この節は、プロレタリアを概括できるだろうと思っていましたが、そうではなかったようです。詩を捉えるのに、政治思想というものが影響するのか、と思います。

 世間には、〈プロレタリア詩〉と名付けられるほどは知られていなかったのか………詩史としての位置づけを知りたかったのです………

 

プロレタリアの詩

 

年刊プロレタリア詩集1931

年刊プロレタリア詩集1932

 

近代デジタルライブラリー - 日本プロレタリア詩集. 1931年版

 

 

 

 それは戦後の〈生活詩〉〈社会の詩〉として綴り方運動につながっているのかもしれません。

 

生活綴方運動(せいかつつづりかたうんどう)とは - コトバンク

 

この年齢で出会った「綴り方運動」に共感する | SVP2-Blog

 

 (リンクさせていただいたサイトの方々に感謝します)

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。