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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『近現代詩を学ぶ人のために』7章を読む

 おはようございます。

【第7章 感情詩派のポエジー】のまとめ

(1 詩派としての『感情』)

  •  大逆事件の起こった1910年を境にして、日本の詩は、象徴詩から口語自由詩へと展開した。
  • 内面でいえば、象徴詩の内面の閉塞から日常生活を解放すること。
  • 形式でいえば、文語定型詩から口語自由詩へ。
  • 1910~20年代は、型からの解放と、自由を目指した。

 

  • 1917年11月の15号から山村暮鳥は不参加となる。詩話会がジァーナリズム化したことへの不満のため。
  • 福田正夫は〈民衆派〉を立てた。
  • また〈白樺派〉もあった。
  • 詩壇は過渡期で、流動的だった。

 

(2 雑誌『感情』と『卓上噴水』)

  •  『卓上噴水』は1916年に朔太郎、犀星、暮鳥の三人で、詩、宗教、音楽の研究をする人魚詩社が結成されてそこから出ている。3号で終わり→『感情』と移っていく。
  • 『感情』の中心は朔太郎と犀星であったが、5人の同人で発行されていた。
  • それぞれの詩人の作品発表の場。統一された主張はなかった。人間関係で集まっていたといえるのでないか。

 

(3 萩原朔太郎

  • どう変遷したか。
  • 「疾患においてその実体を変質されたるところの物象は、より多くの霊性とより多くの光輝性に於いて全く新しい有機体を化成する」(浄罪詩篇ノート)
  • 日常的な認識の在り方を解体し、「至純な霊」=「全く新しい有機体」を幻視すること、が当時の詩法だった。
  • 同人の『月に吠える』合評会では………

萩原朔太郎 詩集〈月に吠える〉全篇 従兄 萩原栄次氏に捧ぐ

  の「さびしい人格」以後への共感を表明。

 

  • 感情詩派は、民衆詩や人道主義のほうへ傾いてゆく。露風らの象徴詩と袂を分かつようになる。

 

 

(4 室生犀星

 

室生犀星 抒情小曲集

 

  • 犀星が詩から小説に比重を移したので、『感情』が廃刊することになった。

 

(5 山村暮鳥

『聖三稜玻璃』(1915年)に詩史を先取りする前衛的な詩風を見せた暮鳥は、前述のように『感情』から離れ、「従来のやうな感覚上の個性としてあらはれた異常な神秘とも言ふべきものではなくて、寧ろ大きな大きな普遍的な生命の、人間としての無限の感情」(本井商羊宛書簡)へと転回し、『風は草木にささやいた』(1918年)では人道主義に、さらに『雲』(1925年)には東洋的詩境への到達を見せて、短い生涯を終えた。(P126)

 

山村暮鳥 聖三稜玻璃

 

山村暮鳥 風は草木にささやいた 風は草木にささやいた

 

山村暮鳥 雲

 

          (リンクさせていただいたサイトに感謝します)

       ………………     ………………       ………………

 

 以上、詩誌『感情』を巡る章でした。

 それぞれの詩人の立ち位置のようなものを知らないと、なぜ関係が絶たれたのかがわかりません。詩論の違いというよりも、つきあいの在り方とか性格という気がします。

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。