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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『近現代詩を学ぶ人のために』3章を読む

 おはようございます。

 

【第3章 象徴詩の衝撃】のまとめ

(1 「象徴」という方法)

 「象徴」とはなんだろうか。

「記号(サイン)」の場合、それが指し示すもの(シニフィアン)と指し示される内容(シニフィエ)との関係がもっとも恣意的であると言える。たとえば罪を犯して逮捕された少年を指し示す「A」という記号と、その少年とは、さしあたって無関係である。この場合むしろ無関係であるからこそ、その少年の人権をまもるのに役立つわけである。「停まれ」を示す信号の色が赤でなければならないという必然的な結びつきはどこにもない。この場合も、シニフィアンシニフィエの恣意的な関係という「記号」の特徴がよく出ているケースと言っていいだろう。

 それにくらべて、「図像(イコン=アイコン)」の場合、シニフィアンシニフィエの結びつきはずっと強くなる。イコンなるものが、もともと東方キリスト教会で用いられる聖画のことなのだから、この強い結びつきは当然と言ってよい。踏み絵を思い出すまでもなく、聖画=聖なる対象を描いた図像=聖なるもの自体ということになるわけだ。………

「象徴(シンボル)」におけるシニフィアンシニフィエの結びつきは、単なる「記号」と「図像」との中間にあると、ひとまず言っておいていいかもしれない。たしかに十字架はキリスト教の教義そのものを図像的に表しているわけではないが、しかしその内容と分かちがたく結びついている。鳩そのものはけっして平和な生き物ではないらしいけれども、そのまろやかな姿や群れをなして天空を飛び交う姿は、平和なるものをイメージさせるに十分である。………(P46)

 

 

(2 「象徴主義」のはじまり)

  •  象徴主義が現れたのは、フランスの詩の分野だった。
  • ボードレールの「照応(コレスポンダンス)」という詩が、その方法意識を提示しているといわれる。

遠くにまじり合う長いこだまのように、

夜のように、光明のように、果てしなく、

暗くて 深い 統一のなかに、

薫りと 色と 音は 互いに照応する。

 

  • 嗅覚、視覚、聴覚といった感覚は、それぞれ互いに働きかけ、呼び起こし合う。
  • 響き合う感覚・官能の世界は、その奥に潜む精神の状態とも照応している。
  • それは、精神の「象徴」として読み取ることができる。

 

象徴主義 - Wikipedia

 

象徴主義の詩人とフランス歌曲

 

ステファヌ・マラルメ Stephane Mallarme

 

 

(3 日本への「象徴詩」の導入)

  • 象徴主義を日本に積極的に紹介したのは、上田敏
  • 1904年『明星』1月号にヴェルハーレンの「鷺の歌」を象徴詩として翻訳紹介する。また翌年にはヴェルレーヌなどを紹介する。
  • リアリズムの方法とは異なって、象徴主義の言葉は読み手の「幻想」を喚起する。
  • 1905年『海潮音』刊行。

 

………大切なことは、「象徴詩」が主眼とするところが、なんからの「概念」の伝達ではなく、「類似」の心状を読者に与えるところにあるという点だろう。すなわち、象徴詩を読み解くにあたっては、「作者の意図はなにか」式の読みは的外れであり、読解の成否は、そこに書かれてある言葉からどのような心状が喚起されるかという、読み手の側の想像力に委ねられているということなのである。(P53) 

 

(4 意味と音のはざまで────薄田泣菫

 

薄田泣菫 - Wikipedia

 

青空文庫 作家別作品リスト:薄田 泣菫

 

偉人たちを笑いの対象に変えた薄田泣菫

 

薄田泣菫の詩「ああ大和にしあらましかば」

 

 当時の批評の中で言われていたように、「今の大和か昔の大和かわからない」、そうした、言葉の指示対象の重層性・曖昧性。ひとつひとつの言葉の内容や、その並べ方にみられる、日常の言語規範からのズレ。そしてさらに言えば、そうした「意味」の領域から相対的には離れるかたちで現れる、耳慣れない古語の典雅な響きの音楽性。マラルメやヴァレリーが言うように、象徴主義は「音楽からその富を奪いかえす」ことにつとめたのだったが、むしろそうした点こそが、この詩を象徴詩として魅力的なものにしていると言うことができるだろう。(P57)

 

 

(5 官能性と精神性と────浦原有明

 

蒲原有明 - Wikipedia

 

今週の詩 | 茉莉花(まつりくわ) 蒲原有明

 

 

(6 象徴詩のあらたな展開へ)

 泣菫・有明は、藤村・晩翠らが築いた抒情詩に古語・雅語を大胆に持ち込むことにより、その表現領域を拡大し、象徴主義の詩風に新境地をひらいた。両者はいずれもこの手法について十分に自覚的ではあったが、その徹底した使用は、読者の側にとっつきにくい印象を与えたことは否定できない。日常語の意味から離れたその詩法は、一種のフォルマリズムに近づいたとも言え、事物や感情に密着した表現を求めようとする詩人や評者の反発をも招く結果となった。また、『新体詩抄』に始まった明治の新体詩の歩みが、この両者において洗練(なまいは爛熟)の頂点に達し、以後は解体を余儀なくされるような事態となったと言うこともできよう。この後、象徴的な詩風は、新体詩という形式を離れて、文語体自由音律の形式のもとに、北原白秋三木露風、木下杢太郎らの新人の活躍に委ねられることになるのである。(P60)

 

       ………………     ………………       ………………

 

 新体詩から象徴詩まで来ましたが………まだまだ、文語体や七五調の音律は抜けだせません。それだけ口語自由詩というのは、解体、実験を繰り返した果てにあったのだ、と思えます。

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。