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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『近現代詩を学ぶ人のために』2章を読む

 おはようございます。

【第章 叙事から叙情へ】のまとめ

 

(1 浪漫詩人・藤村の登場)

  • 若菜集』(1897年刊行)。日本近代詩の黎明を告げる新しいタイプの詩人として、後続の詩人たちに大きな影響を与えた。
  • 藤村の基調には、強いリリシズムがあった。柳田泉は「藤村詩の面白さ」で「そのリリシズムがいかにつよかったかということは、小諸時代、詩から小説へいこうとしたときに、そのリリシズムをふりはらっていくらかでも客観的態度をとろうとしたときのきびしい自己凝視、環境への観察、自然への探究の眼、客観主義的な大陸文学(たとえばトルストイなど)の研究、科学書の渉猟(ダーウィンの『種の起源』など)、こういうことは、皆その苦心の片りんを語っている」(「月報」、『日本現代詩体系2巻』1974 河出書房新社)と述べている。(P。30)

 

島崎藤村 - Wikipedia

 

青空文庫 作家別作品リスト:島崎 藤村

 

(2 青春道場としての『文学界』)

 サイトの方々に感謝します。当時の文壇の事情も書かれてあります。

 

島崎藤村らが文芸雑誌『文学界』を創刊 (明治26年=1893年)1月31日

 

島崎藤村『春』|文学どうでしょう

 

 

(3 大学派)

  • 土井晩翠は、武島羽衣や大町桂月らとともに「大学派」と呼ばれたが、その詩想は彼らとも、藤村とも別種の浪漫精神にあった。
  • 「大学派」の詩人たちが、古語や雅語を駆使しながら平板低調な詩しか作れなかったのに対し、晩翠は、やまと言葉より勇壮厳格な漢語表現を駆使して独特の境地を開拓した。
  • 日清戦争後の国民感情に受け入れられた。が、寮歌や軍歌に向かうようになり、近代詩からは離れていく。

 

土井晩翠 - Wikipedia

 

(4 明星 浪漫主義の実践────与謝野鉄幹

  • 1889年に「新詩社」を起こし、翌年浪漫主義文学運動の拠点となる『明星』を創刊する。

 

与謝野鉄幹 - Wikipedia

 

(5 情熱的歌人与謝野晶子

1901年『みだれ髪』刊行。その大胆奔放な官能の肯定は、それまでにない新しい短歌の試みとして大反響を呼んだ。

「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」といった自己の感情を真正面から表現することによって因習の打破を目論見、破格の文法を駆使しての青春の情熱や恋愛の官能、自我の解放を大胆に謳歌したその歌集は、上田敏の激賞を受けただけでなく、世評も高く昌子の代表作となった。(P36)

 

与謝野晶子 - Wikipedia

 

青空文庫 作家別作品リスト:与謝野 晶子

 

 

(6 文庫派)

  • 雑誌『文庫』(1895~1910年)に依った人々。

「文庫派」の詩人 --- 河井酔茗

「文庫派」の詩人 --- 横瀬夜雨

ある詩人をめぐって-伊良子清白の生涯-

 

(7 社会主義詩集)

児玉花外 - Wikipedia

 

児玉花外(「名詩の林」より)

 

児玉花外 菜の花物語

 

 

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 読んでいただいてありがとうございました。

 また、明日。