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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

シンプルに 等身大で

 おはようございます。

 詩集「わたしはあんじゅひめ子である」に載っている詩を読んでいます。

 今日は「かつどんひめさま」を読みたいと思います。

 

あのれきしあは二〇歳です

老人ホームでボランティアとして働いています

八五歳のおばあさんのからだをあらっています

とあのれきしあは言いました

やせちゃったからだは皺だらけで

股がとじなくなって

膝もくっつかなくなって

おしりも三角にとんがって

わたしのからだにそっくりだと

おもいました、とあのれきしあは言いました

………

で、始まるこの詩は2行目に書かれてあるように、老人ホームでボランティアとして働いているあのれきしあという子を描いた詩です。

 この後の行に、職員会議に参加するよう勧められて、その日は月一回の出前日と重なるので、冷やし中華を出前に取ったという描写があるのです。

 読んでいればわかるのですが摂食障害をに陥っている子なのです。

 

理想のたべものは

いくらたべてもなくならない

ずっと同じものをたべたい

けっして飽きたりしない

一日に六斤のパンをたべて吐いた

一日に十缶のゆであずきをたべて吐いた

一日にバケツ一杯のヨーグルトをたべて吐いた

人間のたべる量じゃありませんよね

とぷりみあは言いました

人間じゃないかもしれません

毛は抜いちゃってつるつるだし

乳房も月経もなくなったし

ペニスはもともとあるわけないし

たべても吐くからうんこもでない

ぷりみあは手を差し出して

吐きだこを見せました

十人のぷりみあたち

十本の手の

十の吐きだこ

それは手の甲に出来た皮膚の豆です

吐瀉物をあびてきた皮膚の豆です  

             (三連)

 

 

 この詩は作者が少女たちに成り代わって書いています。

 詩としてはシンプルです。摂食障害の少女たちの思いを詩の形にしたものです。社会性を持った詩といえると思います。

 現代詩の前衛を歩んできた詩人に、こんな詩があることがすごく印象的で、心に残ったので取り上げてみました。

 

 詩というのは、以前、杉山平一さんのところでもいわれていたように、「詩ははみ出し落ちこぼれのものだ」という言葉で表される側に立つものなのです。

 洒落ていたり、平凡人よりも思索的であったり、知的欲求に応えるものであったりしてもいいのですが、究極のところ、詩は孤独を慰めるものです。

 

       ………………     ………………       ………………

 

 吉野弘さんの詩のように、日常の延長線上に詩の言葉があるのがいいかも知れません。

 

お気に入りの詩

  (吉野弘さんの詩が読めるサイト)

 

 

  見たまま、思ったままを大事に描写する等身大の詩があっていい。そう思ったのです。

 詩の言葉がメタファーを含んだ特殊な言葉でなく、普段使うような言葉であっていいじゃないかと思ったりします。それで詩が書けるのですから。言葉になにを込めるかではなく、言葉を意味づけする位置が、詩を難解にするかしないかの瀬戸際だと思うのです。

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 今日が、誰にとってもよい日でありますように。