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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

現実から意識の流れへ、また幻想へと

 おはようございます。

 詩集「わたしはあんじゅひめ子である」に載っている詩のなかで、印象に残ったものを取り上げたいと思います。

P48に載っている「善哉」

 

 この詩は夢と現実の淡いに漂っているような詩、と感じました。

  • 一人称の視点・意識の流れ的描写で
  • 幻想のようなことが描かれている散文詩です

 

 このような詩を書くときの勉強になると思います。

 

 現実の描写から意識の流れへ。また描写から幻想へ、みたいなことを描くときの流れがスムーズであるといいたいのです。

 

       ………………     ………………       ………………

 

は破れた紙と木と草でできていました

少しずつ破れかけていました

子どもが小さかったころは、びりびり破いて楽しんでいました。それはかれらのおしりだったのか、わたし自身のおしりだったのか。それでも紙は破かれ、おしりはたたかれ、だから家中の紙はきれぎれになって竹の骨が露出しています

ここは家庭だ、自分たちは家族だと夫がいいます

 が、最初の1行目から6行目までです。

 子どもが小さかった頃の記憶から(曖昧です………)、〈家庭〉や〈家族〉というものへの疑問が描かれています。

 その後、

音が耳に入ってきます。夫の弾くピアノに、わたしの音は吸いこまれていくかわたしのたてる音、聞く音。さまざまな………

 という行が割り込んできます。

 飛躍です。

 それがスムーズなのです。

やめてよ。もうピアノはやめてよ、やめてよ、うるさくって集中ができないと何度も抗議しましたが効果はありません。夫は弾き続けます。音楽なんてただの雑音、耳を通過する雑音と思えば、生きているということと同じなのにと夫がいいます

 ここの部分で、過去の夫とわたしの記憶、出来事が語られるのですが────意識の流れ的描写になっています。

 

 すぐ、

わたしは子どもたちに絵本を読んでやります

と、飛躍します。

 読者は、何が起こっているのか、これからどう展開していくのかと、興味をつなぎとめられます。

わたしにはなまりがあって、子どもたちにただしくぶんしょうをよんでやることができません。よそで聞いてくるのとちがいますから子どもたちはそれを指摘します。人前でものは読めません、子どもの前でもとてもむぼうびになる、読む行為は

正当な言語なんてどこにもありはしないのに

正当な言語なんとて、どこにも

  ここでは一人称で語っている作者の意識の中に詩が入り込んでいくのです。(なまりがあって)………ことばがかんぜんにひらがなになっていきます。

〈正当な言語なんてどこにもない〉というのが語っている者の意識です。ついに、意識そのものになりました。

 

 この行の後で、

ある日、あかずきんちゃんのおはなしを子どもはわたしにかたりました。あかずきんちゃんはやきたてのおかしをもって、もりにゆきました、そしておおかみにであいました。なまる。なまる。子どものおぼえてきたせりふはなまる。どんなになまっても、あかずきんちゃんはおおかみに食われ、おおかみは腹を切り裂かれました。

わたしはトロンボーンのことを考えていました。楽器の前では、声なんてじつにもろいです。声は消される。トロンボーンは………

 と、今度は子どもが赤ずきんちゃんの童話をわたしに語ってくれたエピソードになりました。子どもの話し方から………なまる………ことの、意味を、つまりコミュニケーションすることにとって言語とか、言葉は、どういう部分を占めるのかを考えているのがわかります。

 そして、また、楽器です。楽器によって声が消されることはどういうことなのか、という疑問に沈んでいきます。

 

       ………………     ………………       ………………

 

 これらは冒頭部分です。全体の10分の1というところでしょうか。詩は、意識の流れ的描写で、続いていきます。

 

 このトロンボーンは、描写によると人間のようなのです。

トロンボーンはとても太っていました。目も手も口も、ばらばらに動くのでした。手は右上にすぐ左手と交差して左前に。目は左ななめ上と左横と右横を同時に。そしてそう動きながら口は大きくあいて、笑う声を発声しました。トロンボーンがなぜ笑うのか、わかりませんでした。それでもトロンボーンの………   (以下略)

 

  詩はこう続いていきます。

 トロンボーンの態度の考察から………

………

声のはずなのに音にしかきこえない。意味はわからない。それでも意味を理解しようとすることだけができる。耳をすます

声に耳をすます、ヒトの声に耳をすます

意味はどこだ

強力な、強力な、強力な、トロンボーンにはことばはない

たえまなく。たえまなく。たえまなく

ここは家庭だ、自分たちは家族だと夫はいいます。おかしいとおもいます。ここが家庭だなんていうなんて。わたしは疲れて外から帰ってきて熱を出して寝ていました

あなたはあなたの好きなようにあなたの好きな言語をしゃべればいいんですともうひとりの夫がいいました。夫というこの符号はなんでしょう。………(P50の終わりからP51の部分)

 ついに内部の声、テーマに辿り着きました。

 言語と家庭ということ、コミュニケーションの問題が避けられないところまで来ています。

 

 この後の物語りを書くのはやめます。詩を楽しんで下さい。

 

 現実から記憶へ。意識の流れへ。また描写から幻想へ。流れがスムーズだ、

と、いいたかったのです。

 

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

  

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 今日が、誰にとってもよい日でありますように。