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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「河原荒草」を読んで学んだこと

 おはようございます。

「河原荒草」を読んで気づいたこと、勉強になったことを書きます。

 

【リフレインの使用】

 ほんとうに多いのです。

私たちは、母に連れられて

乗り物に乗りました

乗って降り、また乗りました

車に乗りバスに乗り

それから飛行機に乗りました

またバスに乗り電車に乗り車に乗りました 

 の最初の連から────繰り返しの言い方や言葉がリズムを作り、独特の世界を作り上げます。やっぱり詩だな、と思ったのです。

 あと、擬態語、擬声語による繰り返し。それらは感覚的で、皮膚感覚で感じる描写につながっています。

 

【描写が感覚的】

〈女性特有の〉

………赤ん坊は猫のように泣きました、母は乳房をむき出しました、それはまるで見知らぬ形をして、どす黒くたけだけしく盛り上がり、息をとめずにいられなかったほど生臭くにおいたっていました、小さな赤ん坊は小さな頭をふりたてて吸いついていきました、母はもうひとつの乳房を取り出しました、ぱんぱんに膨れたそれはみるみるうちにゆがみ、ねじれ、先端が割れて、乳汁がしゅううと弧を描いて飛びました、いーうー、と弟がさけびました、試みてごらん、試みて吸ってごらんそれを、それはあまい、あなたはきっと好きだからそれを、と母は私たちにいいました、私たちはためらいました、すると母は弟をいかまえて、弟の口にむりやり押しつけました、乳房は………(P22)

のような部分です。女性でなければ描写できないところ。

 

………

つるくさがのたうちまわる

母がしゃがんで、水をやる

水を吸って勢いづいたつるが、母の膣にすべりこむ

母は膣からつるを垂らしたまま動きまわる

………       (P28)

   

〈臭い〉

家の中に入ると臭いがする

冷蔵庫に入れ忘れた鶏肉、かびの生えたヨーグルト

弟のパンツで、妹のオムツで、発酵したオシッコ

あるいは弟が

夜中にやり残した、部屋のすみっこのひともりのウンコ

家の中に入ると臭いがする

………      (P27)

 

父の死骸はベッドの上にそのまま置いておかれた、みんなが普通に生活した、

普通に、夜になると母は父の死骸といっしょに寝た、普通に今までやっていたように、そして日が経った、臭いが充満した

臭いが家じゅうに充満した

………         (P31)

 

 臭いについての描写だらけだといっていいかもしれません。五感で感じた描写であふれています。それがリアリティを作り出しています。

 

〈皮膚感覚〉

 

弟は、全身にかまれた痕があり、かきむしってあり

目が充血して、顔も手足も、ぱんぱんにふくれあがっていた   (P61) 

 

ちょっとかいただけでも、かいたとこから水ぶくれになった

からだのあちこちに水ぶくれはできた

表面はしわだらけ、ぶよぶよの、中に水がたまって

  (河原になりたい) 

………           (P62)

 

 皮膚感覚は撫でたりさすったりするところでも出てきます。この詩集では、あらゆるものが皮膚感覚につながっています。

 

〈虫〉

………家じゅうにつるくさが伸びる、つるくさの芽という芽にカイガラムシがこびりつく、母はつるくさに水をやり、カイガラムシをこそげ取る、それはそれは熱心にこそげ取る、………      (P26)

 

サンタアナが吹いた、熱気で家の中に虫が増えた、弟が全身を食われた、臭かった、私たちは家の窓という窓をあけはなって暮らした、蝿が飛び交った、私たちは普通に生活した、臭かった、くりかえし食事した、くりかえしねむった、弟はかきむしった、蝿が飛び交った、寝室の窓もドアも閉め切ってあった、ただ死骸があるだけだった、蝿は私が濡れぶきんでたたいて殺した、蝿の山ができた、臭かった      (P32)

  

〈死骸〉

 荒地の父は死んでも死骸として生きます。

父は怒っているのだった、思いどおりにならない世界を、怒っているのだった、思いどおりにならない家族を、思い出してみれば父とは怒るものであった、どの父もどの父も、ごはんを食べたりウンコをしたりするのと同じように子どもを怒った、怒られた私たちは自分らがちっぽけで無力であると確認して、救いようのないさびしさに襲われて泣いた、なぜこんなになってまで家族を監視しようとするのか、………   (P34)

  この部分では、死骸=家父長制という象徴になっていると思います。

 

 また、河原に住みつくことになるのですが………

いろんな死骸がそこら中に埋まっている、

と母が語った

猫に、犬に、ネズミに、魚に、カメに、ミミズに、草に、草の茎に、燃えも腐りもしないものに、死んだ猫もわざわざここに持ってきて埋めてやったこともある、と母が語った

………        (P51)

 

………

河原に行って土手から降りた、

生えているものを抜いたり振り回したり食べたりして遊んだ、

鳥の巣やタヌキの巣やもっとたくさんの死骸もみつけた、

そしてやっぱりそれを踏んだりさわったりした、

河原にはほんとにいろんな死骸があった、

猫のネズミの魚のカエルの鳥の虫の、

どろどろに腐ったなんか人の赤ん坊みたいの、

私たちは好きだった、それらを見たりつっついたりするのが、

………          (P75)

 

 死骸についてはそれへの偏愛が他の詩にも表れていると思います。3月24日のブログで、詩集『青梅』に入っている「オオアレチノギクを抱きかかえる」という詩を取りあげましたが、そこにも死骸についての描写があります。

 

        ………………     ………………       ………………

 

 引用するといくらでも引用できるので、このへんでやめます。

 

 感覚的、抽象的であるから典型になることができる。説明的、具体的でないから、普遍になることが出来る。

  ということが、わかりました。

 

 それと【性的な描写】に満ちあふれていますが、それは………

河原=草の群生=死骸=生命と死のイメージが集まっている場所であるところから、当然であるともいえます。

 

 グロテスクなイメージと魔術的リアリズムにあふれたこの詩集は、強烈な描写によって支えられているのです。

 百聞は一見にしかずといいますが、観念的に思考するより描写するほうが相手に伝わるのだなと思いました。

 

 また、草の名前を植物図鑑で調べるところがあるのですが(P56)、名前 (言葉)を知ることは命につながることを象徴している、と思ったのです。

 

 この詩集は、「父権を否定して彷徨う家族の物語り」なのでしょう。

 

 連から連へ、詩的飛躍にあふれた冒険の世界だ、と思ったのです。

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、月曜日に。

「わたしはあんじゅひめ子である」の詩が気になるので、読みたいと思います。