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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「わたしはあんじゅひめ子である」を読む前に

 伊藤比呂美さんの朗読は言葉の力に満ちていますね。

 

『女性身体とエロスを読む(その3)』の「伊藤比呂美の<呪言>的リズム」

 を、読ませていただきました。精緻な分析と解釈で、感動しました。伊藤比呂美の巫女的な語りがどこから来ているのかを教えられました。

「わたしはあんじゅひめ子である」も、その延長線上にあります。

 

異文化に揺らいで自由」というエッセイでは、そのへんの事情をうかがい知ることが出来ます。感謝です。

 

 目次が読めるのでリンクを貼りました。

 

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 詩はこういうものだという常識の枠にとらわれず、自由に、読んで感じる、それが〈コツ〉です。そうすれば、読む者も自由になれるのです。伊藤比呂美さんの詩には、そういう力があります。

 

 P32に「『お岩木様一代記』〈日本庶民生活史料集成〉より引用・参照箇所あり。」と書かれています。

 「わたしはあんじゅひめ子である」は、説経節を元にしているようです。

 

『お岩木様一代記』について検索してみました。

 

 

「岩木山の高神」話のイダコの口説きというのは、こんなふうらしいのです。

 

 このサイトのエッセイで、今まで知らなかったことを知ることが出来ました。リンクを貼らせていただきます、ありがとうございます。

 

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「お岩木様をめぐって」というエッセイのなかで………この下の文章が印象に残りました。口承文芸という瞽女やイタコが語り、演奏した庶民の説話の物語りの、基盤の厚さに目を開かせられました。

要するに、いまわれわれがこのに『安寿』という題名のこの書物の中核をなしているのは、津軽口承文芸の担い手たちが、あちこちで耳にし、記憶したあらゆるジャンルの物語や音曲をつなぎあわせ、試行錯誤をくりかえしながら演者それぞれが「編集」した成果物なのである。………

 

 

 こういう語りの物語は、庶民のあいだで受け継がれていくし、絶えることはないと思います。

説経節 - Wikipedia

 詩もそうです。

 誰かが書き………誰かが読む、それでいいと思うのです。

 素人のぼくにとっては、上手い下手は関係ない………

 

 これで「わたしはあんじゅひめ子である」を読む準備が出来ました。リンクだけですが、長くなったので、明日にしたいと思います。

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。