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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

モチーフの拡がり

 おはようございます。

 昨日はうまく論理が展開できませんでした。でも、いいんです。詩は、読者が自由に感じるもの。学問じゃない、と思っていますから………うまく説明できないのは自分の知識レベルの限界で、呆然としてしまいますが………

 

 下記のリンクを貼ったサイトは、鈴木志郎康の詩集「ペチャブル詩人」の批評です。どれも深い考察と分析で、教えられました。感謝しています。

 

    粉川哲夫の雑日記

    鈴木志郎康『ペチャブル詩人』を読む: 羊的生活

    鈴木志郎康『ペチャブル詩人』 - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

 

「ペチャブル詩人」(2013年発刊)は最新の詩集です。

 その内容は、無理に詩を作り上げようとせずに、詩人自身の等身大の日常の視線と行動、思考を紙に定着する描き方になっています。それが、上のサイトの分析でも語られているように、いい感じなのです。

 

 詩人がそういう地点まで行っているものですから、そこに辿り着くまで何があったのかを考え続けていたのですが………詩のスタイルが年齢とともに変わるのは、当然のことのように思うのです。

 そして思ったのが、いまは、無理に詩にしていない、そのままで詩になる、という心境に到達しているんだな、ということでした。

 

       ………………     ………………       ………………

 

【「やわらかい闇の夢」以降のモチーフの拡大】

 

 詩集『少女達の野』(思潮社、1989年)や『石の風』(書肆山田、1996年)では、家族や自分に向けていた視線が周辺に拡大していくのがみられます。

 

詩集『少女達の野』から

あいたい人は
あいたい人は
あいたい人は
去ぬ乙女子を求めて、北に、地下鉄の
自動階段に足は溜まってしまった
(あなたの匂いを憶えています)

        (「オレの側と極小の黒烈光」部分)

 

 

うれしい水に
足を浸して、波子さんは
せつない
――ナゼ、オ月サマバカリ見テイルノ
――痛みが引くから

       (「処女の乳首」最初部分)

 

 

何ということだ、そして
北の頭の頂点に立つ、その方角から
あの方が割って入ってくる
仲を裂いてやろうとばかりに割って入ってくる

          (「東廻り」部分)

 

 

お母さん
「カー」って
井戸のことなのね
琉球方言で)
お母さんの中に井戸があるって本当ね
おっぱいとお台所
地下に体を潜めた蛇の口をひねる
手で

             (「乳房のレジェンド」1の最初部分) 

 

 

 

   「渦巻きまで、女は」

 

1月が斜めに傾いて落ちた

2「傾く」=かたむく=肩剥く

3昨夜、凝りかたまった肩を
 剥き出して電気振動を与えた、
 アンマーで、あんまをかけたということ、

4震えて、
 いとしさに身を寄せて
 剥き出された乳房

            (最初部分)

  この詩集で詩人は、実験的詩法で詩を作っています。こうして番号を振りながら行分けしていくのもそうですし、詩語を書き出すこともしています。詩を、自分のためだけでなくて、共通のものを捉える道具にしようとしている………これは当たり前のことかもしれませんが、自己にこだわっていた詩人が解き放たれようとしている、と思いました。

 


(この後、この詩に使った単語をすべて書き抜いてアイウエオ順に並べてみた。そこには言語の風景があった。自分の書いたものを「言語の風景」化するということは、あの詩人から示唆されたことだった。たとえばこんな具合になる。)

ア▼「会う」4「赤い」1「上げる」2「頭」1「アメリカ製」1「荒川洋治物語」1「案」1
イ▼「いう」3「閾」1「生きる」1「意識」2「偉人伝」1「いたずら」1「命懸け」1「いる」1
ウ▼「受ける」1「後ろ」1「裏切る」1「嬉しい」4

………

             (「傾斜の気分」部分)

 

 

大空はまだ暗い
東から一線が明らんでくる
(止めないでくれ)
踊り止めないでほしい
ズーインネ タンタンタン 南に
ズーインネ タンタンタン 西に
ズーインネ タンタンタン 北に
ズーインネ タンタンタン 東に

              (「野ノ録録タル」部分)

 

 

詩集『石の風』から

 

建物の間の
底辺の空き地の
丈高い雑草が生い茂る中に
一人の醜い女が
通り過ぎるまだらな日差しを浴びて立っている
草の葉先が光る空き地
醜い女に
白い花柄は不似合い
長い髪の毛はうるさい
自転車で通りかかったわたしは
女の醜さ打たれた

………            (「逃れた所」部分)

 

 

それから
わたしたちは、草を踏んで、後ろになり、前になり、
歩いた、暮れかかる小さな町の軒下では
土くれを踏んでバスを待った

………

        (「捨てられた古い峠に、漆黒の夜に踏み込み」部分) 

 

 

 

 「不意の、他人の存在」

 

いかにも着ている服に支えられた、その男
プラットホームに佇んで、待つ。見るからに
「支えられる」の才覚とケチで
札束を重ねる手つきで地位をためこんだ
監視カメラに写るただの人

         (一連)

 

 

     「時の暗がり」

 

しょっちゅう写真を撮って人に送っている。それでも、気づかぬ間に
欄が茎を伸ばして蕾を付けていた。花の写真。庭の花をしょっちゅう写真に撮る。
花が絶えれば枯れ葉を写真に撮る。知らぬ間に、変わる。野ぼたんから杜出草。
昨日、エスカレーターのわきのベンチにいた人、見知らぬ人が頭に残る。
顔は忘れたが、姿のおぼろげな印象が残っている。老いつつある人、知らぬ間に
死んで、いつか、わからない夢で出会い、見知らぬ人の役割を果たしてくれるのだろう。
知らぬ間に、見知らぬ人たちが夕日の長い橋を渡っていく。
夕闇から逃れるように、まだ日の明かりが残る方角に向かって、走りたい。

………             (最初部分) 

 

 

五月のそよ風に、わたしの男根は太陽の光を受けて、茶黒く萎えたまま
垂れ下がっている。鳥のような声を出して、長い息を吐いた。肉体の
生気に立ち戻るために、わたしはわたし自身を通り抜ける装置が必要なのだ。
老いたけものが女に化けるというその話の「ことばの装置」だ。わたしは

………

             (「五月の風に胃の腑を晒して」部分)

 

 

 

 「エスカレーターを走り降りる男」

 

ネクタイを肩になびかせ
エスカレーターを駆け下りる
その男。
思考の、ここを、乗り越えようと
若い女を、ひとり
男は自分の頭の中に、登場させます。
(そして、読者であるあなたは
この男になりかわって
好きなタイプの
若い女を思い浮かべて下さい。
でも、ここでは清純タイプがいいですね。
スーツ着た今年入社したばかりの女子社員。)

………         

           (最初部分)

 

 

  自分以外に視線が向けられている。他人や他人との関係にモチーフを求めている。

 より詩を書く場が自由になっている気がします。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。