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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

主体と現実

 おはようございます。

 ぼくは現代詩文庫121のこの詩集も持っていて、鈴木志郎康の全体の詩業がわかるのですが……… 

続・鈴木志郎康詩集 (現代詩文庫)

続・鈴木志郎康詩集 (現代詩文庫)

 

  この本の詩論のページに「詩というものの存立を考える」という文章が載っています。『極私的現代詩入門』(1975年刊 思潮社)という本に載ったエッセイらしいです。そこからP139の鈴木志郎康の言葉を抜き出してみます。

「………詩を書くということは、全く個人的な行為であるが、同時にそれは社会的な行為であるのだ。この社会的な行為であるということの価値がどうしても問われることになるのが、詩を書くことの苦痛であり、同時に詩を書くという個人的な行為を支えているのである。………」

 この後を要約すると、そういう自覚が新たな文学運動(個人であれ、集団であれ)になり、新たなものが生まれる、と書かれてあります。

「………私自身の存在が社会が要求する道具として奪われるということに対して、自分自身であり続ける部分を確保するということであったのだ。私が書く詩が自分を名もない道具としての存在へ強いていくのに対して、自分の名をもって生きられる部分であり続けさせようとしていたのだった。………」

 

 

 ここに鈴木志郎康の、詩と現実との関係をどう見るかが表れていると思います。

 

 多くの人がこう考えていると思います。詩を書くことは────

  •  現実と向かい合っている私(主体)が、現実を描写することによってそれを捉え、またその持っているイメージ(意味)を変容させること
  • 概念や言葉が持つイメージ(=その意味)を捉え直すことで、それまでの常識や縛りから開放されること

 そうすることで────私という主体が生き延びられるようにすることだ、と。

 この、私という詩を書く主体────現実の構図は基本的なものだと思うのです。

 

………………       ………………      ………………      ………………

 

 それで、昨日書いたように、プアプア詩以前の鈴木志郎康の詩は〈受動態〉が特徴でした。

 どのようにしてプアプア詩に至ったのかという考察は、このサイトで詳しい分析がされています。

鈴木志郎康「極私的現代詩入門」(3) 言語感覚 - 言葉のあや織り

 

「逆立する内部世界と外部世界とが相渉る「神橋」のような象徴物として、プアプアという言葉を編み出し、強固なリアリティーを持って内部世界を形づくっている言葉と意識を外部に、つまり「神橋」を渡らせて一人歩きをさせた、ということになる。」

 と分析されています。

 

 ぼくは、プアプアという少女は〈現実への異化〉だといいました。

 それは疎外された主体が、耐えられなくなって生み出した妄想の産物ともいえます。ずっと受動に押し込められていると、主体は生き延びることができない。生きる手段として空想や、幻想に頼らざるをえない。

 

 ぼくは、苛酷な強制収容所フランクルが体験した、このエピソードを思い出しました。

 

 結びつけるのは強引すぎるでしょうか?

 でも、人間には、土壇場で、幻想が必要です。

 

………………       ………………      ………………      ………………

 

 プアプアという少女は妄想だったとしても、衰弱した主体性を救うものとして現れたと思うのです。

  • それまでのシュールレアリズムは主体の側から現実を変容させる試みでした。
  • しかしプアプア詩は、衰弱した主体を回復するための、言葉の側からの現実の変容だったと思うのです。弱った主体を援護するためプアプアが入り込んだ。

 たぶん、それまでもシュールな現実を描写していた鈴木志郎康は、妄想の、言葉にあふれた世界で自分を解放しようと、一歩踏み出したのです。

 

 猥雑で、現実破壊的な、常識も、倫理も越えた世界に………

 

 そうだとすれば、プアプア詩がずっとは続かなかった理由もわかります。解放されたように見える世界も、主体が本質的に解放されていない限り、秩序のある日常に戻らざるをえないのです。

 

 プアプア詩の開放感はあくまで言葉だけの解放、結果としては、新しいファッションの詩のスタイルとして読者に受け止められたのです。

 

 この考えは、ぼくがプアプア詩について思ったことです。誤解し、間違っているかもしれませんが………正直に書きました。

 

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 明日、またプアプア詩を読んで、そのおもしろさを知りたいと思います。