読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

鈴木志郎康の初期の詩

 おはようございます。

 図書館から借りてある、鈴木志郎康さんの60年代70年代に書かれた詩論を読んでいたんですが、びっしりと文字が並んでいて、理解するのに疲れてしまいました。

 

  

穂先を渡る―最新現代詩 (1980年)

穂先を渡る―最新現代詩 (1980年)

 

 

  言葉って、当時の流行りの観念を含んで使われているから、いまの時代のニュアンスではわからないところがあります。その当時の意味とか概念を持っているからです。

 全共闘の世代なのです。

 ぼくも時代はそうだけれど、自分は中学卒業して働き始めたからなあ………底辺をうろうろしてここまで来たので………

 読んでの感想は………詩とか書く人はやっぱりインテリなんだなあ、と思うんです。

 難しい………言葉が、じゃなく………言葉を出している詩人たちの意識に沿うのが。

「この人はインテリの階層なんだから、関係ないや」と思ってしまうんです。

 

 当時、18歳のぼくは、プアプア詩に感動したんです。格好つけている詩じゃなくて、その破壊的なわけのわからなさというのが爽快だったのです。こんな詩が登場したんだ………という感想でした。初めて、インテリ臭くない、自分の気持というか、大衆的な気分を描く詩が現れたと思ったのです。

 猥雑で、今思えばそういうこともないんだけれど、〈小陰唇〉などと平気でいうHな詩が、庶民が持っていた閉塞感や疎外感を、解放するかもしれないと思ったものでした。

  • 詩って、作者という個人が発する言葉がたくさんの人たち(大衆)を感動させたら詩人となるわけじゃないですか。

だから、詩人でいいわけだけれど、プアプア詩に理屈はいらない、って思っていました。いつまでも、この調子で続いてほしいと。

 でも、いつの間にか【詩で現実を変革する】みたいな風潮は終わりました。

 

 今回、詩論を読んで、難しいなあと思ったのです。うまくまとめられないけれど、当時の現実の情況に対して詩は何ができるのか、が中心のテーマみたいです。個別に雑誌に発表されたエッセイを集めたものなので、まとまりには欠けます。

 

 ぼくの関心は、プアプア詩がどういう過程で出て来たのか、そしてなぜ書かれなくなったのか、ということだったので、書かれていることには、当てが外れた感じでした。自分には【鈴木志郎康=プアプア詩】という先入観念が強いのです。

 

    ………………     ………………

 

  プアプア詩の前に書かれた詩を読みます。

 どんな詩でもいいのですが………初期の詩を。

 1959・9と日付がある「木目・波・壁

 

右側の壁は私の背の数十倍の高さの建物であった

窓はなかった

左側の壁は私の背の数十倍の高さの建物であった

窓はなかった

前面には私の背の数十倍の建物の壁に小さな窓がひとつあった

太陽の光が一条その小窓から斜めに片側の壁にさしていた

 という建物の描写で始まります。

 すごく、詩らしい詩、です。

 詩はまず描写でしょう。そして、私のこと、を描きます。

私は空腹ではなかった

私は満腹ではなかった

私は女を考えなかった

私は胃を考えなかった

私は眠くはなかった

私は爽快ではなかった

………

   ―― 略 ――

 

私は石油かんの上に腰かけてギターを抱いた

私は風を耳にしなかった

………

 という部分につながっていくのです。

「私は」が繰り返されることによって、リズムが生まれています。抒情も感じることが出来ます。なにか深いような、意味があるようなムードも感じます。また、「私」にすごく執着しているところが独特です。

 

 この後、

音は壁に反響しなかった

………

………   (略

音は次々にゆっくりと遠くまで行った

私は一つ一つの音が遠く見えなくなるまで見送った 

で、終ります。

 すごく詩、らしい詩です。

 周囲の描写────私の情況────行動の描写────結論(私の意識)

 すごくかっちりと筋道を立てて描かれています。 そこから抒情を浮かび上がらせる、というか、読者に推測させる。

 タイトルも、いい。木目・波・壁という語感がいいし、描写された詩の世界とあいまって拡がりを与えている。

 

 そう読み取りました。

 

 詩は、[描写────私の意識]で出来ています。[描写と意識]の繰り返しがリズムとか抒情を呼ぶんだろう、と思います。

 

 こういう詩を鈴木志郎康は書いていたのです。

 初期の詩をもう少し読んで、どういう経過でプアプア詩に至ったのかを知りたいと思います。

 

………………       ………………      ………………      ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。