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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

現実と妄想をつなぐものは………

 おはようございます。

 

 詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』のⅣ部には、一連のプアプア詩10篇が掲載されています。

 これが劇的で面白いのです。

 

 処女プアプアを設定することによって、日常の生活を撹乱する。作者が作り出したものであるにも関わらず、処女プアプアは自立した存在です。プアプアがいることによって、詩人の意識の底に蠢いている欲望や疎外感が白日の下にさらされることになる。

 

 プアプアは作者の妄想なのですが、生活を侵食するぐらいリアリティを持つことになる………

 

………………       ………………      ………………      ………………

 

 昨日の詩「私小説的プアプア」の続きを書かなければならないんですが………じつは、詩に描写されたことが事実であるのか、妄想であるのかわからない次元で詩が書かれているので、引用して、これはこういうことだろう、と解釈するのが難しい………

 登場人物の意識が、外部の現実に向う方向と、内部の意識の底に向う方向で、違いが定かでない。曖昧なのです。

 

 詩に、現実の日常性を持ち込むのは(註)の存在です。

 それによって、劇=ドラマが作り出される。

 

………………       ………………      ………………      ………………

 勝手にこの詩の〈ドラマ〉を抜き出してみます。

 

十五歳の少女はプアプアである(1行目)

 たぶん作者は外を歩いている。プアプアは想像です。

ポンプの熊平商店の前にすごい美人がいるぞ(5行目)

あらまあ奥さんでしたの

  ここで、たぶん現実との接点があったはず、というのは(註)がつけられていることでわかります。

 でも、作者はすぐ、

プアプアと少女の父親と私との関係は(7行目)

と、自意識の底に沈んでしまうのです。

敵だ(9行目)

と、ベトナム戦争に意識は向かいます。

広電バスの非常口を使え(註2)(18行目)

で、現実に引き戻されます。

 でも、「純粋桃色の小陰唇」のことを考えていると、

もうひとりのプアプアが私の方に向かって来る(20行目)

またひとりプアプアが私の方に向かって来る

 は、現実の話なのか、作者の意識レベルの話なのか、わかりません。そのことで射精してしまうのです。

角のところに赤毛の日本女がいる、2本のももが透けている(29行目)

 女を見た私は、処女か処女でないかを考えてしまいます。ここでは、現実であるということと妄想の処女との、判断の是非が、問われているんでしょうか?

 また、作者は現実にどこに位置しているんでしょうか。バスに乗っているようなのですが………

………しかしながら処女は父親が犯し父親は非処女の舌にくるまってベーコン巻き男根の日曜日の出勤で(39行目)

あらまあ奥さんでしたの

壁の穴は大きいでしょう

(私が手淫しているのが見えましたか)

………

  このへんは、たぶん、意識の底にある欲望に身を任せているようです。

 それでも後の行で、ベトコン副議長の会見の記憶や、天皇陛下の「カニ資料展」に関しての思いなどが描かれています。

広島を一日も早く、東京へ立ち去りたい私(56行目)

というのは、自覚している表の意識でしょう。

 

 最後の三行はこうです。

大急ぎで上の空の道を駆ける位に歩いて行くと(59行目)

十五歳純粋ももいろのプアプアが向こうから走ってくる

突然私は勃起して

 という62行の詩でした。

 

………………       ………………      ………………      ………………

 

 まるで意識の底を歩いているような、夢のような詩ですが………

 現実と接点を持ちながら進行しているので、妄想だけを受けとるような単調な感じはしないのです。

 社会批判的な部分と、私の意識が併記されて描かれているのですが、効果を計算した周到な計画で描かれていると思います。読んでいて混乱してしまいますが、現実の進行と、空想の意識が、絡まり合い、相乗効果をあげています。妄想と現実を並立させて描くというのは難しい技術だと思うのです。

 

 作者が描きたかったのは、現実に対して確執と疎外感を持ち、混乱した〈意識そのもの〉だったのかも知れません。そして、それに成功しています。プアプアは現実に対する異化の契機としてあるのでしょう。

 

 

f451日記 by 渡辺洋:鈴木志郎康『攻勢の姿勢 1958-1971』を読んでいる(その2)

 このサイトの方の『言語映像』という分析や考察に教えられました。感謝します。

 

 

………………       ………………      ………………      ………………

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、月曜日に。