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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

詩作法────行分けと散文を並列して重層的にする

 おはようございます。

 伊藤比呂美さんの詩を読んで、「こう、詩を書けばいいのか」と気づいたことをまとめています。

 今日は詩集『テリトリー論2』から「アウシュビッツ ミーハー」です。

 

 この詩は、行分けの連のあいだに散文が書き加えられています。

1連 行分け

2連 散文

3連 行分け

4連 散文

5連 散文

6連 散文

7連 行分け

 の構成です。

 行分けと散文が響き合って、重層的な意識が描写できているんです。

 

そこには

ヨーロッパ人の一般的な偏見とか

ヨーロッパ人の一般的な攻撃性

ヨーロッパ人の一般的な切迫感

一般的な生活の手段とか感情とかが

髪の毛や靴の山のようなかたちをして

積みあげてあって

ガラスケースの中で色が褪せていた

 と、アウシュビッツを見学している場面から始まるのです。

 髪や靴が積みあげてあるのを描写するのでなく、〈偏見〉〈攻撃性〉〈切迫感〉がそこにある、というふうに捉えています。それは5行後に

ヨーロッパ人の伝統的な偏見

伝統的な攻撃性

伝統的な切迫感

わたしは一つの作品を見るようにして

積んであるものを見たのだ

それはとてもいやらしい

夥しい

一つ一つが累積して

          ───(略)

 と、続きます。

 

 一連は〈偏見〉〈攻撃性〉〈切迫感〉がむき出しになったものとして、ある、と意識しています。それは展示物がそのように迫ってきたからです。

 

部屋の一つの面がガラスケースになっていて、髪の毛が積まれている。後ろが高く手前が低い山になっている。これはアゲゾコなのだろうか、と一緒にいた友人が言った。その夥しい髪の毛は一人分ずつもっこりもっこり小さな山になっていてその中には編んであるのもあり、そしてその夥しい髪の毛のもっこりもっこりが一様に同じ白っぽい茶色だった。同色を集めたのか………

 と、二連は散文で始まります。ここは描写が主になっています。

ナチスが必要を感じて手や足をそのまま保存しておいたら、博物館当局はこういうガラスの中に、保存された手や足を積みあげるのだ、と積んである義足を見て考えた。靴は二部屋にわたって積みあげられている。靴には一つ一つ姓名が書いてある。姓名は個人を喚起させる。義足や靴、髪の毛より強く一つ一つを見分けられ、いやらしさも少ない。

で、二連は終ります。

 二連は物の描写と心理です。

 

 また行分けに戻ります。三連。

ブラシ、歯ブラシ

洗面器、水差し

身体に近いほど

直視できない

直視したい

いやらしさが増大する

個々の身体的なものが

夥しい数に

集合する

この集合した身体的なものは

巨大ないやらしさ

人類の一般的な欲求、快感

………

  この連で、展示物を直視すること凝視することで作者が到達したものは、

加害者のグロテスク

むしろ

第三者のグロテスク

を表現する

と、表現されるものだったのです。それは加害者のナチスが採取した物を、こうして展示することで、裁くほうの第三者のグロテスクを際立たせたものとなる、ということだったのです。

 

 四連は建物の説明から入ります。ここで死んだ人の写真が展示されているのです。

………女はスカーフを着けているので、性別が判る。横向きには、頭を支えるための大きな釘が、剃られた頭の後ろに写っている。わたしは顔だちのいい人を選び、姓名を読み、その人個人を知ろうとする。引き算をして、その人の入所してから死ぬまでの時間を測っている。二週間しか生きなかった人もいる。この人は八か月も生きたと思ったりする。膨大な例はそのデータを一つ一つ読んでいくことに飽きてしまう。五号館では比較的丁寧に読んでいったが、六号館、七号館では全体を見渡しただけだ。

 

  五連に入ります。

三月五日には霧が発生して、光景が白濁した。雪はもう………

………

三月六日には雨が降って、あたりは湿地帯に変わった。雪解けの水と雨水が………

……… 

 五連は風景描写です。この描写が入ることで、時間の経過、空間の拡がりが詩に付け加えられると思います。

 

 六連。

 演劇の観劇の連です。

………砂を敷きつめた上に新聞紙とぼろぎれの塊。周囲にちぎれかけた人形たちが立てかけてある。まず囚人たちが新聞紙とぼろぎれから這いずり出て、呻きながら蠢き、人形を撫でまわす。太り気味の五十歳前後の男が肉体を浮きだたせる衣装で出てくる。その力強い動き、正面、横、斜め向きの三枚綴りの写真をいちめんに印刷した布を引き回す。………人形を引きずりおろし、喚きながら、紙吹雪のように切った写真を観客にまきちらす。拾うと正面を向いた囚人の顔があった。………

 

 七連で行分けに戻ります。

ばらまかれた写真に個人差を見る

個人の日常、苦痛、希望を見る

でもあとからあとからまきちらされる写真は

夥しい数になり観客席を埋め

集合して

個をけしさってしまうのだ

………

 と、演劇のところから入って………

 作者の気持を描写しています。

………

バスはオシフェンチムの町を外れた博物館の前にも停まる

そこに展示されているものは

ナチスが採取したくて採取したものであり

第三者が展示したくて展示したものだ

 

 

 これで詩は終りです。

 行分けと散文で作られたこの詩は、すごくうまく構成されていると思います。読む者を引っ張っていく。飽きさせない。

 モチーフはアウシュビッツの提示と演劇なのですが、それに共通するものがテーマになっています。

 展示する側と見る側。表現する側と受けとる側。あるいは採取する側と採取される側。加害と被害。

 これらの二項対立の構図が浮かび上がってきます。

 

 考えさせられる詩でした。

 散文を加えることで、行分けだけでは描ききれなかった拡がりを持つことが出来たのだと思います。説明や描写は散文の得意分野ですから。

 

………………       ………………      ………………      ………………

 

 読んでくださって、ありがとうございました。

 土、日はお休みさせていただきます。

 また、月曜日に。