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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

詩作法────意識の流れ的手法

  おはようございます。

 ブログを書いていて、いつも、「詩ってなんだろう、どういうのかなあ」と考えてしまいます。

 素直にぼくの結論をいうと〈作った人が「これは詩です」といえば詩なのだ〉というものですが………

 

  • 行分けや散文詩など詩の体裁を持ったもの
  • 詩人が書いたもの

      と捉えるのが常識的な考え方のような気がします。

 

   ………………       ……………… 

 

 昨日に引き続いて詩集『青梅』から「生きた男の一部分」を読みます。

 ちょっと今までの詩の概念からははみ出している、斬新なスタイルの詩です。小説でいう〈意識の流れ〉の手法で語られたモノローグという形です。むしろ、小説の一部分といっても通用すると思います。

 

 最初の出だしです。

ハエの死骸って嫌いなんですよね、でも、ハエは死んでなくても、生きてるハエでも、ぞーっとするんです。なんか前世から因縁があったような、ものすごく怖い。だからハエは抜かしてね、ふつう、死骸って見るでしょ、そうするとね、あのハエからサカナにきて、サカナからネズミ、それからネコって感じで、あの、自分から遠いものの方がね、あんまりギョッとしなくなるような気がします。死骸ってゆうのはすごくこう、怖いでしょ。死骸ってゆうのは心の奥の方でいつも、見たい、って思ってる、だから、こう、川の流れるの見てたりしてても、死骸見たい、死骸見たいって気持ちでいつも見てるんです。流れてくるでしょ、いろんなものが、ゴミとか、………

  突然、死骸の話から始まります。

 語っている人の意識がどうなのか、どう展開していくのかが気になり集中してしまいます。言葉に意味が詰まって、深層心理というか、本質の部分が剥き出されそうで、それに惹かれるのです。

 引用していると、圧倒的な心理の流れに連れて行かれて、すべて引用してしまうことになるので、ぼくが「こういうことが書いてあるのだ」と思ったことを箇条書きします。

 

 ネズミの死骸について

毛がね、濡れてて、からだが固くなってるってひと目でわかる感じで流れてくるんです。たいてい口が半開きで歯とか見えていたりするんですよ。それでね、ほらあったってね、サカナのときよりネズミの方が強く思う。ネコのときはもっと。ときめいちゃいます。わくわく。

 そして人間なら………

で、あれがもしね、人間が流れてきたら、あの、おおあたりーって感じ、ぎょっとしますけどね、うれしいってゆうのへんだけどなんかそうゆう感じになると思う。 

ぞーっとゆうのとはちょっと違うと思う。ただ怖いってのとも違うと思う。なんか薄気味悪いってゆう感じ。ええ、触りたくない。指さしただけでこの指の先にね、めにょーとなんかくっつくような、ね。 

 と、皮膚感覚的な反応を描いています。

 

 そして、人が殺されるというシチュエーションでオナニーする、という話になります。

で、殺されるのは、女じゃないとよくないんですよね、しかも若い女ね。その人がこう、傷つけられて苦しんで死ぬでしょ、苦しさがあるんですよね、そうゆうのあたしが見てるの。で、あたしが興奮するんです。

 

彼女が感じてる苦痛ってゆうのが、あたしの気持ちの中でオナニーの快感にすりかわってそれで、感じられる、………

 

でね、あの、苦しんでね、死ぬでしょ、死んじゃうでしょ、それとね、オナニーってゆうのはね、やっててね、だんだんこう息とか荒くなって、それで、オーガズムみたいなものに達して、終りますよね、その過程がね、おんなじなんですよ、ほんとの死って見たことないからわかんないけど……… 

 と、オナニーと死の同質性を語るのです。

たんにサドマゾみたいのは興奮しない。苦しくないとはあはあってやんないでしょ。

  どうも死の苦痛や苦しみが、興奮の元にあるようなのです。

 

だからあの、近松なんかで、くりとほしくりとほすうでさきも、よはるをみればりようてをのべ、だんまつまのしくはつく、とかみだのりけんをぐつとさされ、ひきすゑてもるりかへり、しつてんばつとうこはいかに、とかね、興奮しちゃう。

 と、突然、近松の芝居に言及します。いままでの空間に、今度は歴史的時間が入って来ました。

 ここで芝居とか演技とかマンガとか本で書いてあることは、虚構だから………と話が続きます。

女を殺す場面で興奮するってゆうのと死骸見たいってゆう気持ちはね、たぶんまったく違うような気がする。ああ、違う違う。………

 

………ただね、実際、死ぬ、殺されるね、ところを見ると興奮すると思う。でも死骸ってゆうのはやっぱり、興奮していく感じじゃないみたい。ん、なんか、なんかね、抑えられていくってゆうか、内側の方にね、向かっていくような感じです。死骸って、あの、物、モノみたいな気が、します。うちの母がね、太ってるでしょ、それで裸になるとね、背中とかおなかとかものすごく大きな肉の塊がくっついてて。それは普通の人間の余分な肉って感じじゃないんですよね、………

  というふうに虚構と現実との違い、モノに対する反応、を自分の感覚で知り、捉えるという描き方をしています。

 

死骸って、ほんとうにモノってゆうか、ぶっしつみたいなものになっちゃった。

 

あ、あの、噛むでしょ。あの興奮したりすると噛んだり、なんか、ああゆうのってそうじゃないかな、………

 

………あれね、他人でしょ、他人のからだって生きてますけどあたしにとってはモノですよね、噛みつくのは、モノをね、モノだよーって確認したくて噛んでんじゃないかしら、ふつう、関係ってやっぱりセックスしててもほんとはモノなのにモノじゃないでしょ、で噛むとね、なんか、は、歯の方に確固たるものがあるでしょ、歯茎の方で、ええ、相手のからだを初めて見るときってゆうのは、似てます。ええ、死骸も。

  モノと他者とはつながっているようです。

 

 そして阿部定のことになります。

自分で殺して自分で切ったものなら怖くないと思うんです。………

 

頸締めたら震えるでしょ、その感じがあったと思うんですよね。で、死んだでしょ。気持の中で、生きてるときの男ってゆうのは、モノに、やっぱり、モノでもあったと思うんですよね。セックスってゆうのはモノで成り立ってるみたいな気もしちゃうんですよね、で阿部定の場合はね、………

  セックス論です。常識とは別の視点で男女の関係を見つめているようです。

 この後、阿部定の心理を想像する記述が続きます。

 

………実際この殺すところをやってたらずっと目がね、凝視してるでしょ、凝視してると一つ一つ、組み合わさって一つになってるものの部分部分がね、見えてきますよね、苦しんでる、息ができないふうになってる、ぶるぶる震えてる、ぐったりした、息してない、その一つ一つの………

 

 そして、阿部定が切った性器を持ち歩いていたことについて────

生きてると同じようにモノだったと思うし、生きてると同じようにね、生きた男の一部だったと思う。 

 

で、詩は終ります。185行の長い詩でした。

 

 この詩のテーマは、他者と自分との関係性だと思います。抽象的にまとめてしまうけれど、「自我にとって、他者はモノとしてしか立ち現れてこない」ということじゃないか、と。

 

 読んでいると、言葉が作り出す底のない意識の深さを感じます。また、論理が組み立てられていく様子も複雑で動的です。

 

 こういう詩の書き方もあるということで取り上げさせていただきました。素人で未熟なので読み方が間違っているかもしれません。伊藤比呂美さんにはご迷惑をかけていないだろうか、と心配しています。すみません。いちばん先鋭的な詩人なので、少しでも、その詩から学びたいのです。感謝しています。

 

 

………………       ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また。