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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「詩的思考のめざめ」を読む 2

おはようございます。

 

 続きです。

 宮沢賢治は聞こえない声を聞きますが、幻も見たようです。

心象スケッチと幻想」では詳細な分析がされています。(サイト主様ありがとうございます)

 

 3章では、言葉をならべることが詩になる、ことを考察しています。言葉を列挙しつなげていくことで、ひとつの論理が生まれてくる。その展開が現実で見落としていた「気づき」につながっていく。

 P72から引用します。

 そもそもここで「次はこれ、こんどはこれ」と勢いをつけているのはいったい誰でしょう。もちろん言葉をあやつっているのは詩人にちがいないのですが、ふつうの日常的な言葉の使い方とちょっとちがうのは、言葉を列挙する詩人が自分の「意志」や「意図」に拘束されていないということです。

 ………………

 しかし、列挙はちがいます。言葉がつらなり述語から遊離すると、私たちは目がくらみ、忘れ、まるで語り手がそれに何も意味させていないかのような錯覚をするのです。言葉そのものがどんどん連なる結果、言葉が語り手から自由になる。………

 もう少し、引用します。P74から

 列挙はほんとうに乱暴です。こちらの事情にはおかまいなしにつづく。しかし、この圧倒性はなかなか爽快でもあります。通常、言葉はいろんなものを背負っている。私たちは言葉の持っている意味やニュアンスの束の重さに、いささかうんざりしがちです。何か言おうとしても、いちいちそういうしがらみが気になって、面倒くさくなる、どうせ、という気持ちになる。この「どうせ」は、私たちが自分自身に対して抱く気持ちとも似ているかもしれません。私たちは自分について「どうせ」と思いがちです。言葉は自分にもっとも近いところにあるもので、だから、自分に感じるのと同じように自分の言葉についても私たちは「どうせ」と思ってしまうのです。ところが、その言葉が急に見たこともないような圧倒的な暴力性を露わにしてくれたら、私たちは新しい自分を発見した気分になるでしょう。「どうせ」の外側に出ることができる。 

 なぜ、こんなに引用したかというと、自分で結論めいたまとめをしようとして出来なかったからです。いや、「列挙することで、常識的に使っている言葉の外に出るのだ」と書くことはできる。でも、その結論は、「なぜ 列挙なのか?」という疑問に答えていないと思ったのです。それでたくさんの文章を引用したほうが、正直だと思ったからです。

 若いぼくに衝撃を与えたギンズバーグの「吠える」は列挙で出来ているといってもいいかもしれません。その意味を知りたかったのです。

 

 

 4章は「黙る」というタイトルです。

 高村光太郎の「牛」という詩を分析しています。

 ここでは「書かれたもの」「表現されたもの」、そういう表面に表れている以外のものを読み取ろうとしているようです。

 牛がモチーフです。描かれているように牛は黙ってのろのろと動くだけです。牛の頑固さや愚鈍を、延々と描くことで、詩そのものが牛に似てくると書かれています。

 頑迷さの底にある論理への不信感と呼ぶべきもの………それを作者は読み取って欲しかったのではないか………と著者は推理します。

 こんなに長い詩なのに、伝えようとするものは沈黙だと著者はいいます。

 

  5章は「恥じる」ということです。

 4章で書かれた、表現することで沈黙を伝えたいという試みに対して………現代では「読まれなければ意味がないでしょう?」「わからなければ読む価値がないよ」(P95)という声がある、と著者はいうのです。

 荒川洋治の「詩とことば」のなかの文章を引用して────歌をうたうときは、曲ということで恥ずかしくない。自分の書いたことばがそのままだと………はずかしい。

 詩は、曲がつかない。だから、はじめからはずかしい。活字で発表するから、はずかしさは若干やわらぐものの、同じことだろう。はずかしいのは詩を書く人だけではない。歌をうたうとき、人はそれと同じことをしているのだ。曲があるから、そう見えないだけの話である。

           (「詩とことば」からの引用)

 

 この章では、詩が共同体の歌だった頃といまでは違う、ということをいっています。

 そして詩ははずかしいところ=言葉の毒に当たるものがあると、いいます。その毒の料理法があるのだ、と。

 

………………       ………………       ………………

 

 Ⅱ部は詩を読む「読解篇」です。切りがいいので明日に回します。

 読んでいただいて、ありがとうございました。