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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

山村暮鳥の戦い

 おはようございます。

 

 メインのほうの日記で雲を話題にして………『小学校で習った「雲」(山村暮鳥)を思い出します。青空文庫で読めます。

 

おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平いはきたひらの方までゆくんか 

 

 なんということもない詩でしたけれど、印象に残っているのは「こんなんでも詩なんだ」と思ったからでしょうか。いまはもう少し賢くなって、背景とか知るようになりましたけれど。』

 と書きました。予約投稿したので月曜日に表示されるのですが。

 

 子どもの頃はこの詩の良さがわからなかったのですが、いまはクリスチャンであったこと、肺結核で貧しさに苦しんだことを知っています。

 山村暮鳥はこんな人です。

 このあいだのキリスト教の詩人たちにも名前が出てきます。

 

 暮鳥がとった〈自然に神を見出す〉という感覚はキリスト教にとっては異端の考えです。むしろ、仏教的な諦観に近いのでは………と思います。

 

 この詩の前には、

  「雲」

丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

が、あり、〈自然との合一と陶酔感〉 が表現されているのですし、その次の詩には────

 

  「ある時」

雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯はてのない蒼空なので
おう老子
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか 

 老子が登場しています。すでに〈自然に神を見出した〉汎神論的な姿勢は聖公会と対立し、伝道師を休職させられたことが背景にあるのです。

 

 日本の近代は、個人主義的自我をどう打ち立てるか、ということと、伝統や制度との戦いであったのでしょう。キリスト教で救われるのか、という問題を提出した山村暮鳥は、〈真の救い〉を追求し続けた人だったのかもしれません。ぼくは、本で書かれていることで知るだけなのですが………

 

 

………………       ………………       ………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 また、明日。