読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『だれでも詩人になれる本』再読 6

 おはようございます。

 長い間、読んできた『だれでも詩人になれる本』も今日で最後です。

 現状の「現代詩」の在り方に、鋭い批判をされた本だと思います。やなせさんは、詩が好きなのです。

「いい詩とは何か」を、考えるきっかけとなりました、いい本だったと思います。

 

P207

 ぼくらはせっかく生まれてきたこの人生を、無駄づかいしちゃもったいない。シンナー吸ったり、なぐりあったりして生きれば、その瞬間は心は集中し、一種の充実感があるかもしれないが、やはりそれは甲虫の一生とさして変わりばえしない。ぼくらはホモサピエンスとして、心に情感を持ち、風の音にも涙ぐむリリックな魂を神から授けられたのだもの、この微妙で繊細なふるえる感受性のよろこびを充分満喫することなしに、どうして生きているといえようか。また人間といえようか。

 だからぼくらは歌いたい。

 いい詩を読みたい。

 音楽を聞きたい。

 ただ人生の塵埃の中に埋没して、生きたままの精神的ミイラになってたまるか。

  これは、やなせさんの宣言です。感受性のよろこびを汲みつくせ、という呼びかけです。

 

 そして詩の視点に関してこういっておられます。

 たとえば百メートル競争のレースを見るとします。そこを映画に撮る場合、普通にうつせばニュース映画になる。一着何某君、何秒、それでおしまいですが、一番ビリのひとをうつせば悲しみになり、二番をうつせば口惜しさになる。あるいはコーチ、応援団、補欠選手というふうに見ていくと、いくらでも視点はちがっていくわけで、ちいさな技巧よりも、どこに自分が焦点をあわせてかくのか、そして、それをよく見ているかというところがたいせつになります。

 でも、大部分の人はニュース映画的に全体を見てしまうので、ちっとも面白くない結果になります。

 たとえばスパイクにひっかかれるトラックの気持ち、その土のほうからうたったとすれば、いくらか個性的になってきます。

  視点を変えてみよ、ということですね。

 やなせさんの視点にはいつも弱い者の悲しみがある気がします。

 

 そして覚悟もある気がします。 P246

………なるほどこの世には暗黒面もあります。ぼくらはそれを無視できない。時として、ぼくらは意識せずにその渦中にまきこまれることもある。

 でも、ぼくらの生きているあいだはとても短い。この短い生命のつかのまは、なるべくうれしそうに、なぐさめあいながら暮らしたい。ぼくらの周囲に美しい花を植えたいということとおんなじ心からで、あんまり大それた望みはありません。

 

 そして、詩についてこういわれています。

 つくるのはむずかしいのですが、けなすのはまったく簡単です。他人の作品をけなすことによって、なんとなく自分が優れたひとのように錯覚しているひともいますが、あんなことは誰でもできます。口惜しかったら、やはり自分でつくってみせなくてはなんにもなりません。

 

 これはほんとうに創作される人だからいえることです。産みの苦しみを体験する人だから素直にいえるのだと思えます。どんな作品も、何も無いところから産み出すのはたいへんな苦労だと思います。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 たくさん引用してしまいましたが、やなせたかしさんの詩に対する考え方を紹介できたと思います。

 詩はとても自由なんだ、ということがわかりました。

 何を めざして詩を書けばいいのかもわかりました。自分が周りから感動を受けたら、それを伝える、他の人に回してゆくということです。

 

 やなせさんは去年2013年の10月13日に94歳で永眠されました。ご冥福をお祈りします。

 

 では、明日。

「詩を書くためのフォーム」を作りましたので………