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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『だれでも詩人になれる本』再読 3

………詩にはもともと、こういう差別は許されないので、他の芸術とちがって、六十歳のひとでも三歳の幼児の詩に負けたりすることがおこり得ます。十年、一生けんめい努力したから進歩するかといえば、血涙をしぼって努力しても、はじめて詩をかいた小学生のほうがまさる場合もあります。

………

 こんな面白い芸術はめったにないので、これがつまり誰でも詩はかけるということになるので、どんなに流行作家になったり、有名になったり、詩人協会会長になったりしても、いい詩がかける保証というものはなにひとつない。危険きわまりない仕事ですが、この一瞬も油断できず、年功序列なしというのが詩の最大の魅力で、むしろそれこそが人間の到達する理想的社会であるのに、その中にさえもひとつの階級をこしらえ、セクトをつくり、さらには鑑賞者まで作家の名前をみて、それが誰某大先生の作品であるから傑作と、頭から信じてありがたがるのはまったくのまちがいとしかいいようがありません。

  この言葉にやなせさんの考えのラジカルさが表れています。名前で仕事をしない。詩に名前は必要ないこと。また、仕事でもないこと。べつに職業としての詩人を否定されているわけではないと思います。書く方にも、読む方にも、詩は、純粋な言葉の表現としてあるのだ、ということをいいたいのだと思います。

 

 ぼくはこのやなせさんの本を読んでいて思うのですが、詩はほんのすこし感動を読む人に伝えられたらいいと………すこし共感できる世界が作れたら、それで詩の役割は果たせているのではないかと思います。

 詩の評価、優劣はあっても、伝えることの大切さは傷つかない。

 

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 第2部では、あまり有名でない詩人たちの詩をとりあげておられます。

 

 山村暮鳥が大正十四年一月に刊行した詩集『雲』の序文(暮鳥はこの詩集の発刊を見ることなく病没した)に次のような一節があります。

「詩がかけなくなればなるほど、いよいよ詩人は詩人になる。だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない」

 ぼくにはこの言葉は本当に、心にひびきます。ぼくは晩年の暮鳥の詩をふかくふかく愛する者ですが、その詩はまったく平明で、なんの解説も必要でありません。読むだけでいいのです。元来、詩の本質はそういうものだとぼくには思えるのです。

 あまりの難解さに頭痛のするような詩も、その頭痛こそ何ともいえないという人にとってはその偏頭痛的な詩が最高にいいのですから、第三者が文句をいうことはありません。

 要するに、みんなどうでもいいのですよ。よりどりみどり楽しめばいいので………

  山村暮鳥については青空文庫で読めますし、WEB上でもいろんなサイトがあります。

 それよりも、上の文章はいいですね。

 山村暮鳥がいっていることに感動しているやなせさんの思いがあふれています。

 

「詩が下手になるのが………うれしい」なんと達観した言葉でしょうか。詩とか生とかを考えることを超えた、もうひとつの世界を見ている気がします。

 

P81に暮鳥の詩が掲載されています。

     「手」

しっかりと

にぎっていた手を

ひらいてみた

 

ひらいてみたが

なんにも

なかった

 

しっかりと

にぎらせたのも

さびしさである

 

それをまた

ひらかせたのも

さびしさである

 

    「馬」

だあれもゐない

馬が

水の匂いを

かいでゐる 

 

  寂しさとか、孤独のテーマにまっすぐ切り込んでいったような詩です。

 山村暮鳥についてはよく知りませんでしたが、もっと知りたくなりました。

 

 やなせさんは、「こういう詩を読むと、自分の詩があまりにも汚れすぎていて、しかも見栄っぱりで、金ピカメッキのようで、うなだれてしまいます。」と書かれています。

「といって、山村暮鳥みたいなのを作ろうと思っても、それはやはり暮鳥ばりということになって、たいへんみっともないことになるのです。自分の道は自分ひとりで辿るもので、迷いながら進むのですね。」と。

 

「いい詩」とか「完成された詩」の方向を目指すとき、もうすでに堕落ははじまっているわけで………と、安易に表現だけを真似をすることを戒めておられます。

 

 

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 長くなりましたので、このへんで。来週もこの本を読みます。

 それと、詩作法のフォームを考えています。(言うほどのものではないですが………)

 

 では、また。来週に。