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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「抵抗と表現」を読む 9

 おはようございます。続けて、本に書かれている社会派の詩人たちを紹介していきます。

浜川弥────喪失のリアリズム

  • 1986年交通事故で死す。52歳だった。
  • 『浜川弥全詩集 三ッ川頭を捨てる』(1987 三重詩話会)
  • 「コスモス」に入ったのは83年だった。それまでは、「三重詩人」
  • 農民・漁民詩人。農民の感性で減反政策に揺れる現実を書く。

………

いくら脱穀機が重く肩に食込もうと今日だけは休まずに下りよう

俺の襟をつかんで祖父がひきもどそうとも

俺はその手をふりほどかずに家まで引きずって帰るつもりだ

              (部分)

 

浜川の詩の方法的特徴は、その写実性にある。対象に即して、それをよく見てえがいていく。プロレタリア詩全盛期の農民詩にも、対象をとらえようとする志向がなかったわけではないが、やはり中心的には、解放への叫びをかきつらねることに急だった。そういう行き方の弱点に気づいた詩人たちは、写実の方法にようやくたどりついかのだったが、浜川はその成果を生かしているといえる。浜川の詩が直接に戦前のプロレタリア詩とつながることはあきらかだが、怒りと悲しみをただ主観的にならべたてるのではなく、そうさせたものの姿を具体的にえぐりだすことによって、追いつめられていく農と漁の実情をとらえた点で今日的だ。田が失われ、農民が農民でなくなっていく現実がある以上、それをそれとしてくっきりと浮かびあがらせるのがリアリズムというものである。(P190)

 松永浩介────大工と革命の間

「船底修理」は『詩精神』(1935年3月号)に発表されたもの。

いきなり、梯子を降りて行く。

瞳孔奴、めんくらってお先まっくら。

むッと鼻をつくいきれた空気。

………

        (部分) 

  戦後に書かれた「えんてい」

秋から冬にかけての

異状なかっ水期を辛抱づよくたたえ

春から夏の

はんらんする濁流にもうろたえず

流木やごみ芥を下流におとし

………

       (部分)

P198

 えんていに関する説明をしながら、その擬人化というごく常識的な手段を用いて、作者の主観を投影しているにすぎない。

 このなんとも堂々としたえんていが意味するのは、共産党のようなものだろうか。ムードばかりが先行した戦後の民主主義運動のなかにあって、かってのリアリストの目もいささかくもり、低俗な賛歌に足をすくわれたということだったろうか。すっかりおちついておさまりかえったこの詩からは、現実の体臭はすっかり消えてしまったのだ。

 『今週の詩と詩人』のサイトで「石ころと砂と」の詩が読めます。サイトのかたに感謝。

 

上村実────文明と速力への抵抗

  • 1934年に31歳の若さで自殺してしまった。恋愛にやぶれてということになっている。東京金属労働組合の常任。アナーキズムの活動家。
  • 詩集『土塊』(1935) 貧しい人々への優しい眼差し。
  • 汽車や文明に対する嫌悪があった。

燈火も淡い店先

玩具をならべ駄菓子をならべ

老母はひとり縫物する

(眼鏡に写る夕焼雲と天の色)

………

       (部分)

 

福永剛────抑圧された人々への共感

  • 1933年10月『詩戦』から→『ぼくら』へ。24歳の福永、16歳の清水清。34年の11号まで続く。
  • 後、『詩行動』(1935年)に加わる。「現実をして語らせる」という詩論。
  • 少年期、旅順で過ごす。植民地の貧しい労働者、子どもたちに共感する。
  • 1937年死す。28歳。

  「旅順詩篇二」

ここは山腹の開墾地だ。

嘗ての激戦の跡だから、

砲弾が出やうと銃身が現はれやうと、べつだん不思議はないが、

ぼくの堀りあてたものは一片の骨であった。

         (部分)

 

清水清────リアリズムの追求

  • 『帰帆』を出したとき、14歳だった。後、『詩戦』に変わる。そして『ぼくら』。上村実の自殺。
  • センチメンタルな詩から、プロレタリア詩に変わってゆく。
  • 『詩行動』での清水は小野十三郎や丹沢明の詩論の影響を受けた。
  • 1943年、海軍で台湾に。
  • 戦後は「コスモス」に参加。50年頃まで詩を書く。その後は、批評が中心になる。

………価値基準は、詩が現実にたいしてどう批判的に対しているか、それを具体的に、あざやかに表現しているかということだったといえよう。清水の考えはだんだんと幅を広げていったように思うが、基本は変わることがなかった。(P232)

 

 『CHANCE!  FORUM』のこのページで「四十人の尻」という詩が読めます。

 

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 駆け足で、残りの社会派の詩人をまとめました。

 あまり知られることのないこういう詩人たちが詩の歴史を作っているのだと思います。

 

 詩が政治のプロパガンダやスローガンに利用されるのはよくないことです。詩は詩自体のためにあるべきです。それでも、詩は、なにかのために書かれているのです。それが他人との共感を得るためだったり、自己満足のためだったたしてもかまわないのです。それだけ詩は自由な表現という気がします。

 

 ありがとうございました。

 来週は、「詩への道しるべ」(柴田翔 ちくまプリマー新書)を読みます。

 また、月曜日に。