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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「抵抗と表現」を読む 3

 おはようございます。

「遠地輝武────変貌したものはなにか 政治詩人の結末」を読みます。

 遠地輝武という名をこの本で初めて知りました。この章に書いてある内容によると、共産党のプロパガンダ詩人だったそうですから、一般の人の目に触れなかったのかもしれない。詩そのものが現代ではあまり読まれないのに、政治色がついた詩を好んで読むのはその党派の人だけでしょう。

 過去の歴史の中で、詩がそういうふうに宣伝に利用されたりしたので、一般では、詩が好きな人が個人でひっそり読むだけになり、公の場で詩が読まれたりすることがなくなったのではないかと思います。外国では、詩人は、けっこう認められた職業みたいなのですが、これは噂話のレベルなので、ほんとうのところはわかりませんが。

 

 まとめ、です。

  • 1950年頃は共産党員で党の主張に沿った詩を書いていた。有名なのは『新日本詩人』に書かれた「人民の鼻」で、これは〈スターリン生誕70年を讃える〉ものだったようです。
  • また、詩論で「党派性の確立」を呼びかけた。
  • 1958年に著者が会ったときは変貌していた。すっかり政治主義的なものを捨て去り、無常諦観に満ちた感傷的なもの(本人が後書きに書いている)になっていた。
  • 1951年にはコミンテルンの日共批判があり、党の分裂があり、革命運動の面でも敗北した。遠地個人も肺を病み、54年には夫人が癌を発病した。そういう苦難の影響でないか。

 ここで著者はこの無常詩に変化したことについてこう批判している。P50

 ついで遠地の一連の無常詩だが、かっての政治詩との外見上のちがいからもう一歩入ってみた場合、そこには結果としての両者の共通性みたいなものを考えないではいられないのだ。かっては現実を、やたらと公式できりまくり、そのことによって現実のもっていたさまざまな側面をたいへんきれいにそぎとってしまった革命詩が作られた。ここでは詩人遠地輝武の存在は、主義の明確さにくらべて、きわめてうすぼんやりしたものとなっている。そのことば、その行はまぎれもなく遠地のものだとしても、それらをつらぬく詩人の主体は、発見困難というわけなのである。それにたいしてこれらの無常詩の場合、遠地の体臭自体はもちろんふんだんにある。しかしそれは詩的主体とよべるのかどうか。主体といった場合、現実と詩人との緊張関係のなかでかんがえる必要がある。現実を徹底的にとらえようとすることにスタートラインをおき、現実とぶつかり、はねかえされ、さらに進むといった動作をつうじて、だんだんと形成され、きたえられていく強固なものが詩的主体ではないだろうか。

 長い引用ですみません。ここに著者の主張────詩人の主体性を重んじること────が書かれているので………

 すべてはこの視点から批評、批判されています。

 外見にとらわれていると現実の本質が見えません。観念的な言葉だけの姿勢や態度で事足れりとすると、物事の本質が見えません。まさに、〈現実を知れ、現実から学べ〉と著者はいうのです。

 

  遠地輝武についてはこの本に載っているだけのことしか知らないので、どういう人かわからないのですが、著者は「才能もあったし、とくに晩年は人間味がゆたかだったね。」とP77に書いています。

 

文学と詩の自律性をどこまで自分のものにしていたのだったろうか。変わってきたのは意識の表層だけで、深層ではいぜんとして政治に引っぱられていたんじゃなかろうか。このことは主体が確立していないというふうにいってもいいだろうね。それからもう一つは、このことと関連してどうも遠地は詩の方法についての意識が弱かったようにおもうんだね。

 とも、P67で述べています。ここではAとBが遠地の人物像を語る対談形式になっています。

 

 晩年、遠地は具体的に病苦に向き合う現実を捉えようとする詩を書き、そのことで自分の位置を見つめた。1967年に亡くなるが、最後の詩集『千光前25番地』のあと書きにこうある。

「……若し、それこの詩集に作者の主体をとらえた老残狐廖の情感ばかり賑わって、詩的客体化への支えがみえないとすれば、もはやわたしの詩業も終りというほかなくなるだろう。」

 

 

ここで遠地輝武の詩が読めます。

 

「年刊 日本プロレタリア詩集1932」にも遠地の詩が載っています。

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 詩集の最後に載っている詩は「けぶる」という 詩だそうです。P57に全文がありますが、(著作権の関係で)部分的に引用します。

………

………

わたしはもう老人であり とりわけながい病患に潰えて

党とのつながりも 愚痴と回想の孤立があるだけだ

あと のこりの生涯もあまりながくはないだろう

………

………

おもい出す ────昔 わたしはまいにち浅間の噴煙をながめて おもい多くくらした日がある

………

………

やはりわたしは一個の共産党員として死にたいので

もうしばらくのいのちを悠々けぶりぬくつもりだ

けぶる

けぶる 荘厳

 と、いうもので、中間は思いでの浅間山の噴煙の描写です。それへの思いです。

 

 

 それよりも、上にあげたサイトの「渇いた日々」が好きです。

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(これ以下は自分の勝手な感想と詩の分析です。すでに高い評価を受けている詩を、自分が詩を書くときのための、勉強するためのメモなのです。素人が偉そうにしているようにみえるかもしれませんが、トンチンカンで間違っていても赦していただくようお願いします。)

【モチーフ】

  • 五月の川べり

【テーマ】

  • 老年の渇いた日々だが、夢を取り戻したい

【構成】

 【起】………五月、川べりを歩く

 【承】………遠いところにいく、運命、老年、天、磯蟹の描写、甲羅への思い

 【転】………甲羅に爪あと、帝国主義、武装して

 【結】………子どもの頃、夢

【スタイル】

  • 風景描写しながら、思いや過去を見直し、決意を語る

 

【表現・技法

  • 葦の芽───光り、のように、描写が丁寧 磯蟹の背───陽ざし
  • ひらがなの使用でやわらかな、のびやかな感じを出している 擬音もいい
  • 。、を使ってリズムを出している
  • 甲羅 爪あと、傷  甲羅を衣と捉える 武装 小さな存在でも自分を守る 比喩としていい
  • 日本帝国主義という概念語で説明しているのが残念
  • 最後に少年の日の記憶を持って来たのがいい

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 明日は、壷井繁治の章を読みます。