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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

『石原吉郎「昭和」の旅』から

 

石原吉郎「昭和」の旅

石原吉郎「昭和」の旅

 

  この本は石原吉郎の人生の軌跡を詳しく辿って、その時の状況と石原の心情が浮かび上がってくる記録になっています。最後、石原が孤独に死んでしまうのを読んで、泣いてしまいました。詩人の生き様が読者に伝わるように描かれています。

 

 この中から、詩「フェルナンデス」が書かれた部分を読みます。

 その前に、詩「耳鳴りのうた

………

………

おれに耳鳴りがはじまるとき

たぶんはじまるのはその男だが

その男が不意にはじまるとき

さらにはじまる

もうひとりの男がおり

いっせいによみがえる男たちの

………

………

     (部分)

  詩人自ら解説を(昭和49年「野火」52号)に書いているそうです。孫引きになりますが………

「耳鳴りのうた」のモチーフは多分に、フランクルの『夜と霧』の中の「すなわち最もよき人びとは帰って来なかった」という言葉に負うています。いわばシベリアとは、不条理としての自由ということを、のがれがたくつきつけられた場所だといえます。自由とは、最も拘束された場所で、のがれがたい希求としてのリアリティをもつものだと私は考えます。もしこの世界に自由という問題があるなら、それは強制収容所においてでなくてはならず、私には自由という問題はあっても自由という観念はないのだと、その当時私は痛切に思いました。

「おれが忘れて来た男」または「最もよき人びと」は、このような自由とわかちがたく結びついています。以来「苛酷なまでに自由な男」のイメージに憑かれつづけて来たといえます。                            「『耳鳴りのうた』について」

 

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 石原吉郎は、〈人の自由とはなにか〉について、生涯、考え続けたように思います。

「フェルナンデス」は第三詩集『斧の思想』に収録されていますが、石原の自作解説です。

 この詩は、自分でも好きなものの一つです。ずいぶん昔のことになりますが、もしここに一人の心やさしい男がいて、ある日壁にもたれたのち、どこへともなく立ち去ったとしたら、彼がもたれた固い壁に、たぶんあたたかく、やわらかなくぼみが残るのではないかという発想が唐突にありました。

 その発想のみなもとは、今でも不可解なままですが、たぶん、追いつめられた苦痛な詩を書きつづけていたときでしたから、反射的な救いのように私を訪れたのではないかと思います。

 けれどもその発想を一篇の詩へ展開させる力は、その時の私にはまったくありませんでした。発想は発想のままメモに書き残され、十年近くの時がすぎました。

 ある日、なにげなく外を歩いていたとき、「フェルナンデス」という不思議な名前がふと口をついて出て来ました。フェルナンデスというのはスペインによくある男の名前ですが、その名前を口にした時、反射的にそれが今いった発想に結びつきました。

 ことばに出会うという機縁の不思議さを、その時ほど痛切に感じたことはありません。………私にはめったにない感動的な瞬間でした。私はそのことばを手ばなすまいとして一時間ほど町を歩きまわっているうちに、詩のほとんどを頭のなかで書き上げました。

          「『フェルナンデス』について」

 

 

 詩は、イメージです。

 イメージをどう伝えるかだと思います。

 詩人にとって、「優しさは壁に残るくぼみ」だった。それを伝えたかったのです。

  言葉で伝えられないものは、詩という方法で伝えるしかありません。

 

     

     「フェルナンデス」

………

………

しかられたこどもが

目を伏せて立つほどの

しずかなくぼみは

いまもそう呼ばれる

ある日やさしく壁にもたれ

男は口を 閉じて去った

  〈フェルナンデス〉

しかられたこどもよ

空をめぐり

墓標をめぐり終えたとき

私をそう呼べ

私はそこに立ったのだ

        (後半)

 

 

 ぼくは、石原から、詩はイメージである、と学びました。詩の元の形はひとつのイメージであると。

 もちろん、深い思想から、世界観からイメージが導き出されてくるのです。

P227

 大野新によると、石原は急死の四日前、東村山市立中央図書館で「現代詩について」という講演をした際、この詩を自分で朗読して涙したという。

 

 

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 P231に、死の一ヶ月ほど前にキリスト者詩人の安西均と対談しているそうなのですが(安西均編著「石原吉郎の詩の世界」)、教会の雰囲気を嫌っていたそうです。集団が嫌いで、共同でお祈りをするのも、恥ずかしい、と言ったと。

 八木重吉の詩も嫌いだと、はっきり言ったと………

 

八木重吉詩集」(鈴木享編 白鳳社1969)を持っていますので、明日はそれを読みます。