読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

石原吉郎の詩への聖書の影響 5

 おはようございます。

 これまでの分析、解説によって、充分、石原吉郎の詩に対しての聖書の影響について理解することができました。それは著者、柴崎聡さんが、日本キリスト教詩人会会員であることが大きかったように思います。「詩の喜び・詩の悲しみ」という本も出しておられます。

 

P250~

詩想にキリスト教や聖書の影響がある詩

として、「サンチョ・パンサの帰郷」「サヨウナラトイウタメニ」「麦」「楡と頬」を分析、解説されています。

 …………………………………………………………………………………………………………………………………

 サンチョ・パンサの帰郷

  •  その詩の持っている意味は────第一に、ドン・キホーテの従者に自分をなぞらえて。第二に、作者自身の帰郷。第三は、聖書のエルサレム入城が意識されている。

ドン・キホーテが帰ったときいて、サンチョ・パンサの妻〈テレーサ〉が駆けつけた。この女は、亭主が従士として、郷士ドン・キホーテ〉について行ったことを知っていたので、サンチョを見つけるや、最初にたずねたことが、驢馬は無事かどうかであった。サンチョは、驢馬なら、持主よりも元気で帰ったよと答えた。

  岩波書店の小説「ドン・キホーテ」での場面。(正編)

 セルバンテスの戦争体験や奴隷体験から生みだされた小説の主人公、ドン・キホーテ。石原が、「自分はドン・キホーテに引き回されたロシナンテではないか」と思っていたこと、は重要です。

 この詩についての分析は、P251~P280まで書かれています。

 いろんな人の分析がある中で、P279

石原が身をもって果して来た戦争責任は、理解されなかった。むしろ、森田の言葉を用いれば「現実からの無視と嘲笑」のただ中にあった。

 

 石原吉郎の詩は、その問の、答えを求めた旅といえるかも、と思います。

 

サヨウナラトイウタメニ

 石原自身がモチーフ、意図を書いている。

  1. いろいろな時期のいろいろな経験から一つのモチーフが生まれた。
  2. はじめに、「ワカレネバナラナカッタ」と書きだした。単純な足がかり………
  3. カタカナは、その説得性
  4. くどい言い回しをすることで、距離をはかり………技法として
  5. 粘土をこねまわしてたたきつけて行くように
  6. 「モウイチド………サヨウナラトイウタメニ」と書いて、テーマがはっきりした
  7. 詩を書く過程が、同時に、テーマを探す過程になるような

 

ワカレネバナラナカッタ オレハ

帽子ヲカタムケ マッチヲスリ

ワカレネバナラナカッタ オレハ

錯覚スルビジョンヲサラニトオク

背ニ裂ケタ上衣ヲ愛着シ

       ――(略)――

…………………………………………………………………………………………………………………………………

   「麦」

 いっぽんのその麦を

すべて苛酷な日のための

その証しとしなさい

植物であるまえに

炎であったから

穀物であるまえに

勇気であったから

    ――(略)――

 

 ここの詩句────「麦」「祈り」「天」「風」とは何か、について、分析、解説されています。~P294

 

  「楡と頬」

楡がかがやく夜は

楡よりさらに

頬はかがやくだろう

打たれた頬は

さらにかがやくだろう

      ――(略)――

 

 この詩は1977年8月に発表されたものです。石原吉郎が死ぬ前です。

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイによる福音書5章39節)が頭にあっただろうと、いう分析が書かれています。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

P325の「現代の〈預言者〉」という章で、著者は石原吉郎のことをこう述べています。

 聖書を読み、そこに綿々と綴られている物語や挿話や例え話や比喩や言葉に促されて、石原吉郎の詩の創作は「出立」する。別言すれば、自分の器量をはるかに超えたメッセージを詩にほどこすために、キリスト教や聖書を用いたということになる。しかし、それは剽窃や盗用や安易な借用とは異なる。自分の非力さを肝に銘じて知ったものの営為である。………

 私は、石原吉郎を求道し続けた現代の「預言者」と位置づけてもよいと考えている。………

 

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 今日で、「石原吉郎の詩への聖書の影響」の記事は終わりにします。自分の偏った紹介の仕方で、この本の真意が伝わらなかったかもしれないと、心配しています。いい本なので、ぜひ読んでほしいと思っています。

 

 では、また、明日。