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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

石原吉郎の詩への聖書の影響 4

  

石原吉郎 詩文学の核心

石原吉郎 詩文学の核心

 

 は、石原吉郎が書いた詩に、いかに聖書や信仰の影響が現れているか、を分析した本です。先週まで「直接聖書に取材している詩」と「エピグラフ(題詞)で聖書を引用している詩」を紹介したのですが、続きのP142~の第四節です。

題名にキリスト教的・聖書的用語を用いている詩

審判

若い十字架

小さな悪魔

信仰と貿易

のりおくれた天使

洗礼

祈り

降誕

「祈り」(1954年)「降誕」(1962年)に「信濃町教会会報」に発表されたもの。石原が詩集に収録するのをためらったらしいです。あまりにキリスト教を顕にしているからか、と………

 それでも、モチーフや発想はキリスト教ですが、詩としてのテーマは自分のものにして、表現していると思います。

「審判」(1964年)が好きです。

この世のものおとへ

耳をかたむけよ

くるぶしの軋るおと

頚椎のかたむくおと

石が這いずるおと

    ――(略)――

 

 文中にキリスト教的・聖書的用語を用いている詩

 

寝がえり1………「片側のない創世記」(旧約聖書モーゼ五書の第一の書)

死んだ男へ………「ひとつかみの火を/頭にのせて」(パウロ ローマの信徒への手紙12章19-21節)

P182から聖書における「[四十日四十夜]の意味するもの 」という解説がP188まであります。文語訳聖書に出てくるそうです。

  • 大雨がノアの箱舟と大地に降り注いだ期間
  • モーゼが十戎を授けられるまでシナイ山に引きこもっていた期間
  • 預言者エリヤが荒野で飢えた後、パン一個を食べ、一瓶の水を飲み、それによって元気づいてホレブ山に到着するまでの期間

「四十日四十夜」が出てくる詩

北冥

空腹な夜の子守唄

P196

聖書の「四十日四十夜」は、「断食の時」「試みの時」「禁欲の時」を示し、またそれらは、後年石原が展開することになる「断念の思想」にも通じる。再び引用するが、石原は、「断念と詩」というエッセイで「私の詩が出発したときには、「位置」という発想が唐突にあって、その発想が私の詩にとって次第に決定的になって行った、その延長線の上へ断念という発想が浮びあがって来たように私自身には思われます」と述べている。

デメトリアーデは死んだが………「その髪の毛を/数えられないために」(マタイによる福音書10章30節、ルカによる福音書12章節)

粥1………「贖罪」

クラリモンド………「祈禱書」

色彩1………「信仰」

音楽………「信仰」

疲労について………「復活」

 

 この「疲労について」 がいいのです。

………

………

私はすでに

死体として軽い

おもい復活の朝が来るまでは

 の詩句で終わるのですが、死体→復活はイエスを想起させます。そういう深いイメージを持った詩句を使うことで、哲学や思想を表現することができる、と思うのです。

  それに、「北冥」の解説、分析のところで「海を流れる河」というエッセイが紹介され、「河」という詩が載っています。

そこが河口

そこが河の終り

そこからが海となる

そのひとところを

たしかめてから

河はあふれて

それをこえた

  ――(略)――

  河というだけなら捉えどころのないイメージの言葉ですが、「海のなかを流れる」というイメージを作ることで、観念的でなくなっていると思います。リアリティを持ったと思うんです。

 そういうイメージが深い思想性を示唆する詩を書きたいと思ったのです。

 

盲導鈴………「ひかり」「祈り」など。『信徒の友』(1976年)に発表された。

悪意………「異教徒の祈りから」の副題があるように、まさしく聖書的。

Meta,prphose………「祈り」「祈禱」

 

「盲導鈴」は石原吉郎の最後の詩です。

おとのひとめぐりの果てで ふたたび打たれ 音とならずにひかりとなって それはあふれた

  (略)

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 最後まで石原吉郎は信仰者だったと思います。そして、信仰というものがあったので、これだけの詩を産み出したのだと思います。

 

 では、また明日に。