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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

石原吉郎の詩への聖書の影響 3

 おはようございます。

石原吉郎 詩文学の核心」は石原吉郎の詩への、聖書の、キリスト教の影響について分析、解釈されたものです。

 

 聖書は預言者の物語なのですが、神の絶対性、不可侵性を、石原吉郎はどう受け取ったのでしょう? そういうことが気になります。

 単純に、神への信仰を生きることを最重要だとしていたら、あんな自死のような形での死はありえない、と思うのです。

 収容所においても、単純に神への信仰を確信していたなら、苦難に苦しむこともなかったでしょう。いや、それは言い過ぎか。でも、石原吉郎の苦しみは、「人間が、なぜこうでしかないのか」というところから来ていたと思うのです。

「あなたが人間なら、私は人間ではない。私が人間なら、あなたは人間ではない」

という言葉が発せられるような状況をエッセイに書かれていたように、石原吉郎は常に、人間に視点を据えていたのでないか、と思うのです。

 

 この本を読んでいて、ふと、思ったものですから………

 

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【 直接聖書に取材している詩】続き

  「その日の使徒たち」

君らを見つめる目の数は

僕を見つめる目の数の

ちょうど十二分の一で

      ――(略)――

 『詩学』(1959年4月号)に発表され、後、『サンチョ・パンサの帰郷』に収録。

 

  • 最後の晩餐を描いたものだろう。
  • 数字が重要な意味を持つ。
  • 「一人の僕と/十二人の敵をささえる」と11行目、12行目にあるが、僕はユダと想定される。
  • 「ひき臼のような空のあいだで」も暗示された表現だ。

   「使徒行伝」

かがやいて まずしく

なんじと

なんじの十二人

櫛を宙天にかかげ

すべて出立は

やすらぎに耐えぬ

    ――(略)――

  1967年2月に『鬼・50』に発表され、後に『日常への強制』に収録。

  • 「ひとつ」の執拗な出現が目立つ。「天の一隅」「地のひとところ」「ひとつの旅程」「ひとつの/背理」………
  • 「櫛」とは何か。半月か? 
  • 「石と呼びなした信仰」とは。「まあたらしい塩が/あがなうとき」があるので「地の塩」に相対するもの。

 以上が、著者の分析を要約したものです。

 聖書の考えや言葉に基づいて、詩が作られていることを明確に分析されています。詩句も聖書に出てくるものです。あるいは、聖書からの出典が明らかでないものも、それに関連づけられた思索の表現から出て来たもののようです。

P115に石原吉郎が書いた「半刻のあいだの静けさ────わたしの聖句」というエッセイで、文語訳の聖書への偏愛を語り、こう言っているそうです。

「………文語訳にはあきらかに詩があるということである。これにくらべると口語訳の聖書には、かわいそうなほど詩がない」

私は聖書を読むとき、無意識のうちに詩的な発想をさがし求めていることが多い

 

 

エピグラフ(題詞)で聖書を引用している詩】 

「旧い約束」………旧約聖書ヨブ記5章1節

  •  『福音と世界』(1955年7月)に掲載された。全集には入れられなかった。あまりにキリスト教臭が濃いためか。
  • すでに、石原詩の重要な語句、「帆、夜、昼、安堵、約束、不毛、祈り、地平、祈禱、背、てのひら、帰還」などが用いられている。

「武装」………マタイ伝 10章23節

  • 『鬼・36』(1963年9月)に発表され、後に『サンチョ・パンサの帰郷』に収録。
  • エピグラフの解釈は難しいが、「無用な殉教を戒めるとともに、迫害を避けて逃亡した伝道者を慰めるための教会の言葉」であろう。

「安否」………ロマ書16章11節

  • 『草原・2』(1964年6月)に発表され、『いちまいの上衣のうた』に収録。
  • この詩では、「安否」という言葉が14回も使用されている。石原が聖書のこのエピグラフの箇所を読まなかったら、この詩は書かれなかっただろう。詩は、言葉そのものの魅力によって発想されることがあり、その代表的な作品は、田村隆一の「立棺」である。

「測錘」………詩篇18

  • 『鬼・29』(1961年5月)に発表され、『水準原点』(1972年)に収録された。

 「エホバは天を垂れて臨りたまふ/その御足の下は暗きこと甚だし」というのがエピグラフだが、著者は、石原がこの詩に、錘のイメージを喚起されたのだろうという。

 

「レギオン」………マルコ伝5章9節

  • ユリイカ』増刊号(1972年10月)に発表、『禮節』(1974年)に収録。
  • レギオンとはローマ軍隊の単位で6000人の軍団のこと。
  • 聖書では、イエスが悪霊にとりつかれた男を癒やす。その霊に出て行くように命じる。その霊は2000匹の豚の中に入り、崖から湖に飛込み溺れ死ぬ。(多数のことをレギオンという)
  • 詩では、馬の名前に変わっている。

 

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  しつこく発表年をつけたのは、聖書の影響がどの程度あったのか知りたかったからです。これを見ると、生涯にわたって、詩の発想や、詩句、そのイメージを聖書からとっているようです。だからといって石原吉郎の詩の価値が下がるわけではありません。かえって深い秘密を覗き見たような気がします。詩のバックボーンとなる思想性や観念を支えるものを知ったからです。

 

 来週もこの続きから始めます。では、また28日に。