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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

村野四郎の「心象論」まとめ

 

村野四郎詩集 (現代詩文庫)

村野四郎詩集 (現代詩文庫)

 

 に載っている彼の詩論「心象論」をまとめます。なぜ新即物主義を選んだか、が書かれていると思うので。

 

  • どういう詩が美しく、どこがおもしろいのか。
  • 詩的美は時代とともに変化する。原始の時代、詩は音と結びついていた。声の音律、音楽と詩は密接だった。
  • 時代が進み、詩は読まれるものになった。イメージの文学として成立するようになった。
  • イメージは、心象、写象、映像など、言葉が描きだす心的形象のこと。19世紀的な幻想=ファンタジーと、現代詩とは隔たっている。
  • エズラ・パウンドは詩を形成する三要素をあげている。1、音楽的美 2、映像的美 3、論理的美 である。
  • 2は感覚による視覚的、情景的な美。3は論理が描く幾何学的な心象の美。この論理的心象の造型こそ新しい詩を特徴づける。
  • たとえば、コクトー西脇順三郎を読むとき、その思想が描きだすねじれ、歪んだ心象の形態を楽しむ。
  • 詩の技術はそれを写すプリズムである。思想はイメージの美として詩に入ってくる。
  • 心象というものはなにか。詩の各行は、行ごとになんらかの心象を描く。それは次に引きつがれ、累積して最後に全体の作品としての心象を形作る。
  • 映画のフィルムに例えられる。

詩の一行一行も、映画の一こま一こまのように、それぞれの心象をえがきながら、終局の大きい心象をつくるために進行するのである。この心象は、ある時は膨張し、あのときは収縮し、あるいは蛇などの蠕行しているように、詩の中を通過する。

 それは単に形態ばかりではない。光や翳や色彩や匂いの万態の様相をしめしながら、うつりいくものである。 

  •  かって自由詩型の中に、自由律、内在律などと名付けて韻律の法則を求めた者がいたが………この心象の影のようなものといえる。
  • 最終心象の形成のために、すべての行のもつ心象の効果は、唯一の心象のために集中され、動員されていかねばならない。
  • ヴァレリーはいった。「適確な意味におけるポエジイとは、言葉の手法の使用をその本質とする」
  • ポエジイとは心象の設定をその本質とする、といいかえることもできるだろう。
  • シュルレアリスムの────連想の断絶、あるいはもっとも遠い関係にある心象の結合方法。
  • 詩の魅力は、詩における心象の美が読者に不意打ちをくわせることにある。
  • 新しい詩の魅力は、新しい心象型態の魅力であり、その発見にある。

 

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  現代詩がイメージの器だというのはよくいわれることですが、ここで村野はそれぞれのイメージを統括する全体的なイメージ(構成的に作られた心象)について語っています。

 そして、それは作者が持つ論理を、心象美として築くために必要とされる過程だ、というのです。

 

 どれだけ一行、一行に注意を払って詩を作っているのか………

 詩人とはそういうものなのでしょう。

 

「詩の行切りについて」というエッセイのなかで村野四郎はこういっています。

………詩の美しさが心象の型態のおもしろさや美しさに基づくことはもはや言うまでもない。そして詩人によって配置された多くの言葉は、この心象をのせて進展してゆく水面のような役目をする。詩の行はこの水面の一部であり、一つのうねりであり、波であると見ることもできる。

 詩の各行は、詩全体としての心象をもっとも意味深い理想的な状態に近づけるために、それ自身の速度や、大きさを加減しなければならない。それ故、作品が示そうとする心象の状態によって、この波のうねり────詩の行がさまざまに変化していくことは当然であるけれども、各行は必ずなんらかの心象を形作り、それを次の行との関連において前へと推しすすめるのでなければ、この機能は果たされないということになる。

 もしわれわれが、なんらの心象をも形成しない行に遭遇するとすれば、われわれは一瞬そこで当惑し、心象構成の進行はそこで挫折するだろう。

 またこれと反対に一行があまりに複雑であり、いくつもの心象が一時に複綜して現れる場合には、波はその重みにたえかねて進展の速度から脱落するだろう。つまりこのいずれの場合でも行の切り方は理想的でないということになる。

 それだから、詩の各行が分担する心象は、その詩全体の心象に応じて、あるバランスをたもちながら、最後のものを理想的に構成していくように計画され、整えられなければならないということになる。行切りの長短は、いつもこの均衡のために決定されていくのが理想的であると考えられる。

 

 ごめんなさい、長い引用で。でも、とても重大なことをいっているので、長く引用せざるを得なかったのです。

 これで詩の行分けの意味がわかりました。

 テクニック────詩人は、こういうことに注意深く、詩を構成していたのだ、ということがわかりました。

 

 では、また、明日です。