読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「狂骨の詩人 金子光晴」

 

狂骨の詩人 金子光晴

狂骨の詩人 金子光晴

 

  

竹川弘太郎詩集 (新・日本現代詩文庫)

竹川弘太郎詩集 (新・日本現代詩文庫)

 

  この詩集がある人が書いた金子光晴の自伝。

 その人間性がどこから生み出されてきたのか、わかる。そのように書かれている。

 

当分のあいだ、僕の仕事は、人間解体である。人間に対する愛着よりも、人間への憎悪が勝っている。そのために、僕の仕事は、今日、人から愛される性質のものではない。従って、僕は、新しい敵と戦わねばならない。それは御苦労千万なことで、僕らの年配の人達はもう、いい加減功労賞でももらって、祭壇に祭りなげられてもいい頃なのだが、まず一生涯、僕には、そんなお鉢は廻ってくる気づかいはないだろう。その理由は、いたって簡単だ。僕が天邪鬼だからだ。

  これは1957年に刊行された「詩人」に載っている言葉だそう。光晴62歳。すごい、62歳でこういえるというのが。どこまで、人生に対して悟っていなくて、納得していないかを、世間に対するポーズやスタイルにしても、こう言い切れるというのが。

 

 目次にあげられている────

1 もらわれっ子、幼少時の性体験

3 バガボンド

4 母子相姦のトラウマ

 とある。子供同士の性体験も暗い影を人生に落としたわけだが………

………僕の義母という女のありようであった。彼女の体温がそもそも少年の僕には不快であったし、小学生も高年級になった僕を抱いて寝る習慣があり、その際、部厚なからだのぬれた陰毛のなかに僕の足を挟んでねることなどであった。殆んど、妾宅に行っている父親に対する、欲求不満や、嫉妬の情で、僕をどんなおもちゃに利用するかしれない不安と、子供ながら穢らわしいという感情があったことをよく記憶している。彼女は、たしかに、淫蕩であった。………

          「三界交遊録」

  光晴と義母の年の差は14。戦前は、人権が守られるようなことはなかったし、そもそも光晴も猫の子のように百円で買われて引き取られた経過がある。籍が入れられたのは6歳のとき。弱い立場の者がさらに弱い立場の者をおもちゃにする時代だった。

 この本で、そういうことを知り、思った。

 そして純粋に恋した女は20歳であっけなく病死し、一目惚れして妻とした三千代は多情で淫乱で、男関係が激しかった。

 たぶんそういうこともあり、人間に対して絶望の気持を持ち続けたのだろう。ニヒルな眼というか………それが金子光晴にはあると思う。

 

 戦後、エロ爺として有名になって、また、創作されたエピソードもあるだろうが、根底には性の紊乱と他人への絶望があると思うのだ。もちろん光晴自身も、汚れた悪の認識があっただろう。 

 この自伝では、そのへんのところが詳細に描かれている。

 それに自分も他人も欲望の闇に落ちていくことは、マゾヒスティックな快感でもあり、サディスチックな喜びでもあったはずだ。変態的な性の在り方は、世界を変える。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 金子光晴の詩に表れているのは、「正直な感性」だと思う。

 自分が「そう感じた、こう感じた」感覚でしか現実を描かなかった詩人だと思うのだ。

 西欧に植民地にされたアジアの現実は、金子光晴の感覚にぴったりとあったと思う。

  • [強者・弱者] [聖・俗] [美・醜]などの対立関係。
  • マゾ的・サド的な性
  • 変態性
  • 退廃 腐臭への憧れ

のようなもの(勝手に決めつけていいのか………)を受け入れて生きたと、そう思うのです。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 この本のP207からは「第三章 その詩」とタイトルがあり、著者の金子光晴の詩についての思いが書かれています。

 中野孝次の「近代日本詩人選20 金子光晴」での批評を引用し、批判的に取り上げています。中野が────

戦後の時間がたつにつれ(中略)彼がある狭いところに入りこんでしまったことは否めないだろう。(中略)そこで結果から見れば、晩年の詩ほど柄が小さくなっているとぼくには見える。

と、書いたことが我慢できないのです。

 そして新谷行が、「金子光晴論」で、

詩集「人間の悲劇」で、金子光晴の仕事は終った、と私は今だいたんに考える。後に残されたことは生の悦楽であり、仕事といえば詩集「人間の悲劇」で掘りおこしたテーマを繰り返しただけであるからである。

という言葉にも異議を唱えます。

 

 では、私が中野の光晴評に決定的に反対する理由は何か。それは「非情」と「愛情69」があるからである。私はこの二詩集を「鮫」「女たちへのエレジー」「蛾」に並ぶ光晴の成果と考えるのだ。

と、主張しています。そして────

すでに、僕らは孤独でさえありえない。死ぬまで生きつづけなければならない。ごろごろいつしょに。

 ………略         「ある序曲」

 

さかんな水の生理よ。

僕が

あくがれたのは

………

  (略)            「海」

 

僕の骨もかりものだ。骨に着せた僕の肉は誰のものだらう。

どうふりむいても、ゆすつてみても、この時代が僕にしつくりしない。

   (略)      「洞窟」 

 

 水から空へ

いつぽんの葦が立つ。

葦は、ふるへる。

まつすぐな茎から

   (略)             「葦」

 を、引用するのですが………多くは金子光晴詩集に収められておらず、読むのは困難です。

 金子光晴は「人間解体」と「人間への憎悪」の仕事からやっと解放されて、謙虚に吐息をつくような詩を最後に残した、といえる、と著者は書くのです。

たしかにここには、「鮫」や「女たちへのエレジー」のように権力に立ち向かった光晴の姿はない。だが、剣呑な状態の心の空虚にふりかかった花びらを、もの憂げな指先でふっっとつまみとったような響きがありはしないか。もしそうだとするなら、光晴の筆にはすごいものがあったと言わずにはいられない気がする。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 この本を読んで、金子光晴への理解が深まった気がします。その詩への理解も………

 

 では、また明日。