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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「生きのびろ、ことば」から 3

 おはようございます。

 この「生きのびろ、ことば」という本は、言葉にまつわる様々な思惑を詩人がエッセイにしてあって─────

路上のことば 対話篇〈それはたまねぎではない〉田口犬男

が、詩の本質みたいなものを言い当てていて、おもしろく読んだ。

たまねぎは

硝子精錬の技術とともに発達した

マニュファクチュアの

たまものです

 講堂で教授は力説した

      (一連)

 で、はじまり、革命後に民衆に解放され………

産業革命時にはカトリックから破門され、アメリカが擁護したらしい………

魔女たちはそれで占い、占星術は台所で発達し………あっ、断頭台に送られる………

 

 この詩を披露されたナンテコッタは、「わけわかんねえ………」という。

 ドンナモンダは、

………詩の根底にあるのは、あくまでも「遊びごころ」なのだよ。ほら、車のアクセルにも「遊び」と呼ばれる部分があるではないか。老荘思想では「無用の用」というようだが、一見役に立っていないように見える無用の「遊び」こそが、実は全体を円滑に運ぶ上でとても大切な役割をしているという逆説だな。もちろん、たまねぎがカトリックから破門されたり、アメリカが擁護したり、なんていうことは現実にはありえない。けれども、われわれはその「ありえないこと」を想像し、創造することが出来る。言葉の力で、存在しないものを存在せしめることが出来るのだ。実際、カトリックから破門されて、アメリカが擁護するたまねぎを想像するのは、愉快この上ないことではないか。

 と、いうのでした。

あんた、相当な変人だね。どこが愉快なのか、おれにはまったくわからねえ。

 というナンテコッタに、ドンナモンダは、

それは、ナンセンスのセンスの問題だな。「わけのわからなさ」には二つある。ただの「わけのわからなさ」と、われわれの精神を解放するような、創造的な「わけのわからなさ」の二つ、だ。後者の場合、「わかる」必要はない。むしろ、「わからなさ」を楽しめば良いのだ。想像してごらん。苦虫を噛むような表情でたまねぎにビザを発給している初老のアメリカ大使館員の姿を。あるいは、夕暮れ時の台所でたまねぎを水晶がわりに占星術に没頭している魔女たちの姿を。しかも、そうこうするうち、それまでの現実離れした世界が、日頃わしらの見慣れている日常的な風景と次第に交錯していくのがわかるだろう。

と、いうのでした。

 その後もたまねぎの物語は続き、ナンテコッタも次第にひきこまれていくのです。

 てんやわんや的対話は、空想を交えて、あるいは解釈を羽ばたかせて続くのですが………

 ドンナモンダの、

だから、実際には存在しないものを言葉の力で存在せしめるのが詩なのだと言うとるだろうが。詩というのは、虚構の通路を通して、新しい世界の現実を捉えることなのだよ。 

 という力強い断定があるのですが………ナンテコッタの、

いや、あんたと話して、詩人がまったく違う人間に見えてきたね。さぞかし偉い人たちなんだろうと思ってたけど、相当な変人で暇人でおまけに自惚れ屋だということが良くわかった。でも、何だかたまねぎが食いたくなってきたね。

と、呆れられてしまうのですが、詩人の本質をついています。詩を書かない、読まない人にとって言葉は遠いものでしかないのですが─────「何だかたまねぎが食いたくなってきた」に救われます。

 

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 詩の役目とか本質とかを、噛み砕いてやさしく教えていただけました。おもしろい! 笑えました。

 

 いや、笑ってばかりじゃだめだな。詩を書きたいと志す者にとって、このたまねぎ寓話は、参考になります。現実とは違う想像のルールで動いている世界を描けるかもしれない。そのとっかかりになります。

 

 では、また、明日。