読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

石原吉郎の詩について思うこと

 おはようございます。

 なぜ、自分は、石原吉郎の詩を好きか、考えていました。 

石原吉郎詩集 (現代詩文庫 第 1期26)

石原吉郎詩集 (現代詩文庫 第 1期26)

 

 

続・石原吉郎詩集 (現代詩文庫)

続・石原吉郎詩集 (現代詩文庫)

 

  を持っているので、その作品論・詩人論も読んでみました。

 

 石原吉郎がシベリア抑留から帰還して、日本がすでに「戦後の日常」の中にあることに強いショックを受けたと、エッセイで書いていたのを読んだ記憶があります。

 

  石原吉郎を検索していて出てきたこのサイト「失語から生きる」の文章に共感します。読んで下さい。

 

石原吉郎詩集』の「石原吉郎書附け」(笹原常与)も「サンチョ・パンサの帰郷」(清水昶)も線を引きながら読みました。納得いくものです。

『続・石原吉郎詩集』の「初源からみる石原吉郎」(大野新)のP156あたりの信仰と救済への考察は、核心をえぐっていると思いました。

 

 石原吉郎はまさしく、「戦後詩」の詩人です。その過酷なシベリア抑留体験によって戦後の日常から追放された人だと思います。「石原吉郎書附け」のP140にある〈すなわち最もよき人びとは帰っては来なかった〉というフランクルの言葉を生きる者として。

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

石原吉郎書附け」のP140にある〈すなわち最もよき人びと〉とは………のところで引用されているのは「耳鳴りのうた」という詩です。

おれが忘れて来た男は

たとえば耳鳴りが好きだ

耳鳴りのなかの たとえば

小さな岬が好きだ

………

   (略) 

 「おれに耳鳴りがはじまるとき/そのとき不意に/その男がはじまる」の男。

「その男が不意にはじまるとき/さらにはじまる/もうひとりの男がおり/いっせいによみがえる男たちの………」果てで………「やさしく立つ塔がある」

「………それでも やさしく/立ちつづける塔を/いまでも しっかりと/信じているのは/おれが忘れて来た/その男なのだ」

 

 すごくややこしいのですが、その男がどういう男か、について書かれた詩だということはわかります。

 ぼくの素人なりの、石原吉郎の詩の捉え方を書きます。(こんなの書いていいか分かりませんが………)

 この詩は、「おれが忘れて来た男」を探求する詩なんだと思います。

 石原吉郎には核には「観念」があって、詩で、観念の意味を探求しているんだ、と思うんです。特に初期の詩はそうです。

 観念詩、哲学詩だと思います。

サンチョ・パンサの帰郷』の「位置」「条件」「納得」「事実」なんかまさにそれがどういうことかを追求した詩ですし、「馬と暴動」では、暴動とはどういうものか、「葬式列車」では死とはなにか………

 最初のに浮かんだモチーフが観念なんです。その意味を追求する。

 その後の詩集では、現実の事物がモチーフになることもありますけれど。

 

 田村隆一の「恐怖の研究」なんかと同じ哲学詩ですけれど、強烈な体験に基づいているので、イメージとして描かれていることで詩になっている。

(たんに言葉だけで書かれるなら、箴言や格言になってしまう。坂村真民のように………いや、悪いことではないです。それも好きです。が、詩ではない)

 

 詩はイメージです。

 そして、モチーフが観念ということもあります。

 

 石原吉郎というシベリア抑留に人生を置いてきた破滅型の詩人が、すごく好きです。もっと詳しく理解するために、また、石原吉郎について書かれた本を読んで、書きたいと思います。

 

 では、明日また。