Ⅰ章の「詩のかたち」が、「この形だから詩になっている」、「この形になる意味」を考えていると思うので、まとめます。
詩を書く時に参考になると思うので。これは詩の形なんだと覚えておいて……
【行分け】
行分けには、作者その人の呼吸の仕方がそのまま現れるからである。その人のもの、その人だけのものだから他の人はその呼吸に合わせることはできない。それが壁になるのだ。
例として黒田三郎の「夕焼け」を上げておられます。
いてはならないところにいるような
こころのやましさ
それは
いつ
どうして
……
……
――(略)――
「それは/いつ/どうして」は、「それはいつ/どうして」でも「それはいつどうして」でもなく、作者の判断でそう行分けされた。
読者はこの作者の呼吸、その人なりをそのまま受け取らなければならない……
【並べる】
「くらし」 石垣りん
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
……
……
――(略)――
……人間がふれる世界をひと回りして、「にんじんのしっぽ」「鳥の骨」「父のはらわた」に、目を落としていく。作者は思い起こしたことのひとつひとつう、その手でおさえながら進み、「獣の涙」という、痛ましい、鮮やかな自覚へ向かうのだ。行分けのはたらきを示した作品である。こうしてみると、詩は、ことばを並べることからはじまるのかもしれない。
納得します。詩は並べること。
作者が言葉を選ぶことが、すでに詩の内容になっている。
【くりかえし】
で、紹介されるのは三好達治です。
「砂の砦」
私のうたは砂の砦だ
海が来て
やさしい波の一打ちでくづしてしまふ
(一連)
二連目もこの一連を繰り返します。その後も、三連の終わりに「私のうたは砂の砦だ」があり、四連の終わりに「砂の砦だ」と繰り返します。
五連から描写が「戦争の世界」に変わります。
このリフレインなのです。
以前、杉山平一「現代詩入門」にもリフレインが詩の特徴として取り上げられていました。
また同じ三好達治の「乳母車」も紹介されていますが───「母よ」という呼びかけが三回登場する。このリフレインも、繰り返されて、心理状態を強調しています。
【リズム】
ここでは、田村隆一の「見えない木」が取り上げられています。
……
ぼくは
見えない木
見えない鳥
見えない小動物
……
(部分)
もう解説の必要がないほど、繰り返しのリズムが心地よく迫ってきます。
後半にも……
……
ぼくのちいさな家がある
そのちいさな家のなかに
ぼくのちいさな部屋がある
ちいさな部屋にちいさな灯をともして
ぼくは悲惨をめざして労働するのだ
……
(部分)
P31に、この詩の詳しい解説が書かれてあるのですが……
……いま見たいのは詩の内容ではない。リズムである。……
……
後半も、冒頭のスピードと同じスピードで、のりきろうとする。自分の「悲惨」さの舞台となる家だの、部屋だの、灯りのおおきさなどはほんとうはどうでもいいことなのだ。……
……詩を書いている自分にぴったりのリズムが、ここで停止することがあってはならない。
【詩に、飛躍はない】
というタイトルは逆説的にいっているのだと思うんです。
北原白秋の「からたちの花」で、五連目に唐突に「……みんな、みんな、やさしかったよ。」という言葉が入ることの飛躍を考察しています。
また「落葉樹」の「からまつの林を……」が七連まで続いて───八連は「世の中よ、あはれなりけり。……」と転調することを、飛躍の見事さだ、と解説しています。
天野忠の「動物園の珍しい動物」を取り上げています。
……この詩の飛躍は、終わりのところにある。「昼食は奥さんが……」という一行である。なんだこれは、と思う。それまでは動物だったのに、突然その動物の「奥さん」が登場するのだから。その飛躍のあとは、飛躍を自然にうけつぎ、「雨の日はコーモリ傘をもってきた」となる。……
この飛躍によって、この「珍しい動物」が、人間くさいものとなる。読む人はほろにがい空気につつまれる。……
すぐれた作品の場合、飛躍は、実はそれほどの飛躍ではない。飛躍のかっこうをしてはいるが、つながりがあるのだ。飛躍はおどろくものではない。味わうものである。
と、いう言葉も、素直に頷けます。
詩を書いて、後で推敲するときに、「この詩のどこに飛躍があるのだろう」と、見てみたらどうだろうと思うのです。
荒川洋治さんは、当たり前のことをいっているように見えながら、詩の重要なポイントを押さえている、と思うのです。
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また、明日。