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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

高見順の詩

 前に、図書館で高見順の評伝を借りてきたことがあったのですが、なにしろ分厚い本だったので、読みきれなくて返却してしまいましたが、気になっていました。

 吉野弘の「詩のすすめ」に詩人論として取り上げられています。

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……高見順が40歳を過ぎてから(昭和21年以後)書きはじめた詩について言いうる性質もまた、この「人間鍛錬、自己修業」的性質であるからだ。伊藤整が、詩集「重量喪失」の跋文の中で述べているように「自己の生きる意識の追求と把握と再検討のようなことのくり返しが、高見順にとっての詩」であった。

 

高見順が、風景ないし外界の事物を詩の素材にする場合、その対象を、自己から離れたものとして客観的に描写してすますということはほとんどない。必ずといっていいくらい、そこから、人間ないし人生の姿というものが、引き出されている。

 と吉野弘は書くのです。その例として───P135

「ひとすぢの本道/無数の横道/半日/それについて/考えた/横丁は/総じて/賑やかだった/路地といふものは/誘惑的であった」(「道」『樹木派』)

 路地そのものが描き出されているのではない。そっけない本道より、賑やかで秘密のかくされていそうな路地に誘惑される人間の心に興味が向けられている。

  • 対象に自己を埋没させていくのではなく、対象を描きながら、人生や人間を描く。 
  • 詩人の関心は外部ではなく、自分自身に向けられている。
  • 「天」や「空」の語句が多く、人間の到達しえない世界を暗示している。
  • (戦前の左翼弾圧で)転向体験をしているからか、他人を弾劾する詩はない。

     「天の椅子」

空を見ていると

一列の椅子の列がありありと見えてきた

点のやうな椅子からはじまって

……

     (部分)

 

「空にある椅子」のイメージが、鮮やかでもあり、異様でもある。シンプルでもあり、完璧なものを象徴しているようです。

 こういう、物のイメージと人間性との関係───その緊張感を描ける(それも、さらっと)のが、すごいことだと思うのです。

 詩はシンプルでいい、という気持になります。

 言いたいことをいえば、言葉で飾ることはないと。

 事物を直接、投げ出せば、それ以外に装飾の言葉は要らないと、そんな思いに駆られます。

 

空に

演説会がある

真昼の正午

人間には聞へない声を

万物がしーんと聴いている

……

    (「炎天」部分 『重量喪失』)

 P153に載っている「みつめる」もいいですが、P155の、

   「愚かな涙」

耳へ

愚かな涙よ

まぎれこむな

それとも耳から心へ行こうとしているのか

 も、いい。

 もう、単純に、涙に語りかけるだけです。死のベッドに横になっているときの作品。

 

   「私の卵」

数年来私はひとつの卵を抱きつづけている

あるとき気がつくと卵を抱いてゐたのである

卵が暖いので気がついたのである

私は冷たかった

……

         (部分) 

  暗示……隠喩、卵という事を描くことが、人生をふりかえることになる。

 考えさせられる作品です。

 卵と私の関係だけを描いているのが、よかった。

 

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 高見順の小説も読んだことはないし、詩も、こうして紹介されたものぐらいしか読んでいないので、ほとんど、知らないといっていい。

 でも、こういう短い詩に、深い意味をこめられる詩人に興味があります。

 また、読み残した部分を、また読みます。

 

 また、明日。